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nyoyasha64

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.10

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第六十四回 

 事の次第を考えて見て、長々は結局淡堂等が茶谷立夫をその筋に訴えるのに、一週間の猶予を与えたのが今から一週間前で、今日はその猶予の尽きる日なので、立夫は最早この国に住むことは出来ない身の上で、明日限りで外国に逃げて行かなければ、必ず囚獄の裏の人となるだろう。だからこそ彼は人を使って亀子を誘き出させ、世間離れしたこの別荘に連れて来させたことなので、このまま亀子を引き連れて今夜のうちに出奔しようとは彼の巧みな計略なのだ。

 憐れむべし、亀子はこのようなこととは知らずに、ただ一人ここに来て立夫の手のうちに陥ったのである。立夫は亀子がようやく人心の付いたのを見て、『松あ坊』を見返るに、彼女は非常に柔らかな声で、
 「亀子さん、心配には及びませんよ。ここは貴方のためを思う私の家ですから。」
と言う。立夫もこれに言葉を添え、

 「もとより心配をすることはないのさ。安心をし。亀子、和女(そなた)はもう私を何とも思って居ないか知らないが、私の心は変わらないから。今までより一層和女(そなた)を愛しているから。和女も私の手紙を読んだだろう。私はもう阿父さんが悪人らの讒訴(ざんそ)に迷い、私の出入りを留めてからこの世の望みは絶えたと思い、今夜和女が来てくれなければ死んでしまうところであった。ああ和女のお蔭でこの命を取り留めた。これからは命の親と言うものだ。尤も和女はまさか悪人の讒訴を本当だとは思わないだろうが、イヤサ、思わないからこそこうして来てくれたのだろうけれど、私は何のように心配したろう。」
と只管に慰めようとする。

 亀子はようやく我に返り、
 「私は捨苗夫人がここにいると聞いたから来たのですよ。夫人は何処に行きましたか。」
と半ば怪しんで辺りを見ると、『松あ坊』は少しもぬからず、
 「アレ、まあ、捨苗夫人は貴方と行き違いになりましたよ。貴方が余り遅いから何しても今一度三峯老人に面会を請い、無理にも貴方をお連れ申すと言い今しがた行きました。イエ無理も有りません。立夫さんが全く失望して何うしても死んでしまうと言い、十分その覚悟を決めましたもの」
と澱みもなく言い開く。

 嘘か誠か知らないが亀子は、
 「オヤ、そうでしたか。」
と言いながらふと気が付くと我が気絶している間に開放したと覚しく衣類の襟が全く開き、胸の傷まで現れているのに顔を赤らめて、早くも襟を合わせ繕おうとすると、松子夫人は一早く、

 「これは私がしたのですよ。失礼とは思いましたが涼しい風に当たる方が気分も早く良くなるだろうと思いまして。オヤオヤこの傷はどうなさったのです。アア分かった、悪人等が貴方を殺そうとしたのですね。邪険にも程がある。立夫さんを讒訴してまだそれだけで安心せず貴方を殺そうとしたのです。お可哀想に、きっとそのようなことだろうと思いました。あの長々とか言う悪人が貴方を春野耕次郎とか言う者の妻にして貴方の婚資を山分けにし、その上自分が春野の妹を妻にしようと思っていますから、イエそうですよ。悪人は貴方を商売品のように思い、一組になってその様なことをしたのです。」
と喋々しくも《頻りに喋る》解き来るはこれも茶谷を讒訴して長々等の言う所を全く悪念に出たものと言いくるめる一端なのだ。

 されど亀子は少しも是等の事柄を知らないので、
 「イヤその様な事ではありません。」
 (松)ではあの筆斎とか言う賎しい画工がした事でしょう。捨苗夫人の話ではアノ男が内々貴方に惚れていて今度茶谷さんと夫婦約束が出来たのを大層恨んで居ると言いましたから彼奴(あいつ)が貴方を傷付けたのでしょう。

 アア松子夫人の深い心はここに至って明らかなり。ただ茶谷を弁護しようと言うだけではないのだ。その傷こそは三峯老人が我を殺そうとして過って亀子を傷付けたものに違いないと疑い、それとなく問落とそうとの心なのだ。
 (亀)イイエそうでもありません、これは全く怪我ですよ。
 (松)でも刀傷ではありませんか。
 (亀)ハイ刀傷です。実は父が昔習ったことがある撃剣の真似事を細工場でしていたのです。その所へ私が降りて行ったから過って私を刺したのです。

 (茶)何だと、三峯老人が
 (亀)ハイそれも目が見えないからの間違いですから、どれほどか悲しましたでしょう。もし私が直らなかったら父は泣き死んでしまうところでした。
 (松)ですがそれは何時幾日の事でした。
 (亀)丁度貴方がそれ父に手探りで肖像を作らせると言って御出でになった後でした。

 ただこれだけの言葉で『松あ坊』は悉(ことごと)く事の次第を覚り、ほとんど顔色を変え来たって、
 「それは貴方にその様なことを言うだけです。目の見えない人が幾ら慰みでも一人で撃剣の真似などしますものか。老人は全く殺す積もりでしたのです。」
 (亀)エエッ
 (松)お驚きなさるのはもっともですが、それを貴方に隠しているのです。老人は貴方を狙ったのではなく私を殺す積りであったのです。

 (亀)何と仰る。
 (松)イイエそうです。アノ長々等が私の事を讒訴して阿父さんを立腹させたものだから阿父さんは心もくらみ私を殺す積りで階段の下に待ち伏せしていたのです。私はそれと悟ったから逃げてしまいました。
 亀子は聞いて半信半疑ただ明らかに覚えているのはその時松子夫人が我が部屋に来て私に早く細工場に降りて来なさいと言って言い置いて立ち去った一事だったから、

 「では何ですが、貴方は父が剣を持っていることを知っていながら私を下に降りさせたのですか。」
 この一言には流石の松子夫人もぎょっとして我が口の滑ったのを悔やむ様(さま)に茶谷立夫も、
 「さてはこの『松あ坊』め我に加勢をしながらも亀子を妬む一念から老人の怒りを幸いにして亀子を殺させようととの念を発っしたものか。」
と疑う思いを眼に浮かべてきっと松子夫人を顔を見る。

 夫人は早くも取り直して、
 「何貴方、私が何でその様な恐ろしいことを思いましょう。ただ貴方が降りて行けば傍に長々も居たことだし、決して貴方を私と間違えることはなく、貴方に恥じてその刀をも隠すであろうし、それに又貴方もその有様を見れば阿父さんが悪人に騙されて私を恨んで居るということも合点が行こうと思いまして。」
と当然の事の様に言い開く。

 もとより辻褄の合わないことが多かったが亀子はそれまでは気が付かずただ、
 「そうですか。」
とつぶやくだけ。松子夫人は更に又重々しい調子に改め、
 「ですが、貴方の阿父さんは大変な事をしましたねえ。まあその狙ったのは私であったにしろ、兎に角も人を傷つけた罪は逃れられませんから、警察にでも訴えれば直ぐに捕縛される人ですよ。」

 脅しか何かは知らないが亀子は今更の様に驚いてうかうかと父の事を言い出した我が粗忽を悔やんだが今となってはどうしようもなかった。

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