simanomusume147
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百四十七) 姉か妹か
「古江田利八の二女梅子」
是が路田梨英の母の母である。そうすれば梨英は利八の曽孫(ひまご)に当たる。
併し、梅子を二女と言うのは何かの間違いでは無いだろうか。利八に松竹梅の三女が有ったと言うことから見れば、二女は竹子で、梅子は即ち第三女ては無いだろうか。既に谷川弁護士も、利八の二女は竹子であるとして、鰐革の嚢(ふくろ)を竹子の孫である蛭田江南に渡すことに極めて了(しま)った。
とは言え、名前が梅子であるから、竹子の妹で有るとは限らない。名前は何うでも親の随意に附けるのでは無いか。姉を梅子と附けては成らないと言う規則が、何処に在るか。其れに人は、自分に幾人の子が生まれると言うことを、前以て計算して居る訳では無い。
多分利八は長女の生まれた時に松子と附け、其の後に次の女が生まれたから梅子と附けたのであろう。此の時には次に又も女が生まれるとは知らなかった。其れだから長女が松子で二女が梅子である。此の様な例は世間に幾等も在ろう。所が其の又次に女が生まれた。此の女には長女が松であり、二女が梅である縁故を以って竹子と附けたのかも知れぬ。
何にしても名前が梅と言い、竹と言う丈で、出産の前後を証拠立てることは出来ない。名前よりは記録所に在る戸籍面が確かな証拠である。戸籍面に二女梅子と在る以上は、梅子は二女に相違ない。名前が何で有ろうと、二女は二女だ。然(さ)すれば、古江田利八の鰐革の嚢は、蛭田江南が受けるべきでは無く、勿論路田梨英が受けるべきで有ろう。
アアそうだ。こう思って見ると、蛭田江南自身が、確かに竹子が三女だと知ってる。其れだから、谷川弁護士が、第二女の子孫に与えると言った時、江南は顔色を青くして幾度も問返した。又其れだから直ぐに紅宝石(ルビー)を受け取る程の勇気が出なかった。
彼蛭田江南の心では、梅子が第二女であると言う証拠を掻き消し、万に一つも露見する恐れの無い様にして、その上で受け取ると言う積りで有ろう。彼は善事には甚だ愚鈍な男であるが、悪事に掛けては、驚くべきほど綿密である。彼が梅子の縁付いたワルシー市へ旅行したのも、証拠を隠滅する為らしい。
其れニ附けても路田梨英が此の時に、古江田利八の名を思い出すことが出来なかったのは残念である。若し思い出したならば、鰐革の嚢の事も、従って思い出し、何とか運動を始めたであろう。
梨英が戸籍の記録を見て幾日の後である。此の登記所へ入り込んで同じ記録を検めた一紳士がある。其れは蛭田江南であった。彼はワルシー市から、更に此の筆捨(ペンブローク)市まで遣って来たのだ。
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