巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (百五十五)  爾(そう)とは知らずに

 網守子が寒村(サムソン)島へ帰る間際に、一つ気に掛かったのは、路田梨英の行方である。何うか彼が再び尋ねて来るまでは、都に留まって居たいとも思った。けれど其の時は、自分が立った後へ、間も無く梨英が、古江田利八の曽孫であると称して、尋ね来ようとは知らなかった。

 多分この次の展覧会には、梨英が自分の作品を出すに違いないから、其の時に再び上京すれば、自然に消息が分かる筈であると思い直し、更に捨部竹里に逢って、若しも梨英の居る所が分かったならば、何事に就けても、出来るだけの助力を与え、又其の旨を直ぐに自分へ知らせて呉れなど、充分な注意を残して立ち去った。

 爾(そ)うとは知らずに路田梨英は、考え明かした翌朝に網守子の住居を尋ねた。愈々(いよいよ)網守子に逢った上で。自分の境遇が何の様に成り行くだろうと、様々の予期やら想像やらで、心も良くは落ち着かない程で有ったが、やがて入口で案内を請うと、出て来た女中が、曾(かつ)て取りついた覚えの有る人と知って、女主人の留守である旨を丁寧に告げた。

 梨英は一時痛く失望し、或いは再び寒村島へ尋ねて行こうかとも思った。けれど何にしても先ず、其の上の詳しい事を知り度いと、更に問返して、柳本阿一が、留守を預かって居ることを聞いたので、更に阿一に面会を求めた。

 梨英は小笛嬢と顔を合わせた事は有るけれど、其の兄阿一の事は知らない。単に網守子の雇人で有ろうかとも思ったが、阿一の方では、妹からも網守子からも度々梨英の事を聞き、不幸なる天才として、兼ねて陰ながら同情を寄せて居たので、殆ど旧友を迎える様に梨英を迎えた。

 二人の談話は凡そ一時間にも及んだ。其の間に二人とも深く知り合い、打ち解けた仲と為って、梨英は阿一の片足の無い身に同情して、切に其の戯曲の成功を望み、阿一は梨英の境遇を気の毒に思い、如何に網守子の同情が、其の身に集まって居るかを聞かせなどして、大いに励まそうと務めた。けれど、梨英は、自分が古江田利八の曽孫と分かった旨だけは、未だ何人にも話す可(べ)きで無いと思い、口に出さなかった。

 頓(やが)て分かれを告げた後、梨英は、曾て網守子に聞いた事を思い合わせ、兎も角も谷川弁護士に逢うのが好いと決心し、直ぐに其の足で谷川弁護士の事務所を尋ねた。
 直接には知らないけれど、谷川弁護士の名誉は兼ねて聞き及んでいる。

 幸いに谷川は事務所に居て、梨英の名刺を見るや否や、何だか聞いた事のある名だと思った。実は先頃網守子の部屋の額に、梨英の名の有るのを見て、他の客と其の絵の事を争ったに過ぎない。けれど今は、其の事も思い出すことは出来なかった。



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