巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume208

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.7.27

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         (二百八) 飛んだお狂人さん

 網守子は江南の平気なーーー寧ろ幸福そうな様子を見て、一時に腹立たしく感じた。
 其れで無くても、既に谷川との問答に腹を立てて茲(ここ)へ来たのである。未だ其の心が良くは治まって居ない。

 まこと江南に白状させる為ならば、余ほど巧みに掛け引きをしなければ成らない。けれど網守子は、唯熱心が有るのみで、駆け引きも何も無い。直ぐに罵(ののし)る語調で江南に向かい、
 「貴方は重い罪を犯しながら、良く平気な顔で居られますねえ。」
と叫んだ。

 是が嘘も飾りも無い網守子の真心である。罪を犯さない梨英は、無実の疑いを受けて、牢の中に呻吟(しんぎん)《非常に苦しみうなること》して居るのに、本当の犯罪人は、此の通り幸福な状(さま)で居て、己の罪を梨英に塗り付け、少しも気の毒とも思わず、又自分の心を咎めもしないかと思うと、全く悔しさが先に立って、其の他の事を考える余地が無い。

 江南は此の剣幕に愕(びっく)りした。けれど其の驚きは、出し抜けに大きな物音聞いた様な驚きで、自分の罪を恐れる驚きでは無い。添子も同じく驚いたが、此の方は初めて網守子に来られた時の恐れが、未だ充分には鎮まって居ないので、不安の思いが顔に浮かび、壁に掛けた大斧の方を見て、返す眼で江南の顔と見比べた。

 間も無く江南は果たして嘲笑(あざわら)う調子と為り、
 「オオ、珍客かと思ったら、飛んだお狂人さんであった。険呑(けんのん)、険呑、でも看護人だけは附いて居ますね。」
と言って小笛を見た、小笛も悔しそうに身を震わせたけれど、何も言わない。

 網守子は椅子から飛び立って、江南の前に身を引き延して立ち、
 「私は狂人では有りません。貴方を裁判所へ引き出す為に来たのです。」
 殆ど飛び掛かからんほどの剣幕である。江南は吾知らず一足、背後(うしろ)へ退いた。併し此の時の網守子の有様は、気違いと言われても仕方が無いほどに見える。

 江「ハハ愈々(いよいよ)是は本物だ。」
と云って添子の方へ目を注ぐのは、共々に笑おうと、賛成を求める様にも見える。けれど添子は、尋常(ただごと)で無いと見て、益々驚きを深くし、目を見開いて両の手を握ったまま剛化(こわば)っている。

 江南は又語を継ぎ、
 「ハハハハ、私を裁判所へと言うのですか。」
 網「爾(そう)ですとも、貴方はワルシー市と筆捨市とで、戸籍原簿を切り取ったでは有りませんか。」
 此の言葉には、江南の笑いの声が止まった。如何に悪人で、如何に白ばくれて居ても、此の様に星を指されては、好い心持はしないと見える。

 添子の方は扨(さ)ては紅宝石(ルビー)の件では無いのだと思い、何か網守子の思い違いらしいと看て取り、聊(いささ)か心配が弛んだ様である。けれど江南は又語を転じ、
 「オオお狂人さんかと思ったら、貴女は探偵の下働きでしたか。」
 何と言う図々しい態度であろう。


次(二百九)へ

a:97 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花