巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune143

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.15

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

              百四十三

 侯爵が早や巴里に出発しようとする様に立ち上がり、アタフタと四辺(あたり)を見廻すのは、荷物のまとめから先にしようと唯周章(あわ)て迷うものと知られる。暫くして、
 「イヤ、荷物は要らない、この儘(まま)で好い。サア先生行きましょう。」

 重鬢先生は少しも動かず、
  「イヤ侯爵、貴方程の身分の有る方が、二十年振りに親子の対面と言うのに、そう軽々しくは出来ません。先ず私からその婦人へ手紙を出し、父侯爵に邂(めぐ)り逅(あ)ったと云う事を知らせ、その上で親子の対面は何月何日、何処其処に於いて行うと打ち合わせた上で無ければ。」

 侯爵は殆ど腹立たしそうに、
  「二十年も尋ねて居た末、ヤット分ったものを、何うしてその様に手続きを悠悠(ゆうゆう)として居られましょう。」
  重「イヤそうでは有りません。私から云って遣れば、或は婦人の方で当地迄出て来るかも知れません。」
        
 候「それは気永過ぎますよ。私から出て行きます。」
 重「貴方が出て行ってその婦人に逢い、出し抜けに私が和女の父だと云った所で、婦人の方では貴方の顔を見覚えて居る訳でも無し、唯驚くばかりで、真実自分の親か否かそ判断にも迷う程です。」
 侯爵は殆ど前後の事を忘れ、

 「でも貴方はその婦人の為に私を迎へに来たのでしょう。婦人は貴方が私を迎えて来る者と待ち設けて居るのでしょう。」
 重「イヤそうで有りません。婦人は先年貴方が北洋へ行った事を聞き知り、その後は貴方が何処に居るか、又生きているか死んでいるか、それさえも知らないのです。私が此処(ここ)へ来たのは唯私一人の考えからです。」

 候「とは何う云う訳で。」
 重「イヤ、私はこの婦人が貴方の娘ではないだろうかと疑い始め、段々婦人の身の上を聞きますと、先刻話した丈の事が分りましたから、婦人には何も云わず、兎に角対面の出来る様に何から何まで道を附け、爾(そう)した上で知らせてやろうと斯(こ)う思って居るのです。幸い商売柄だけに、貴方の船が北洋から無事に還(かえ)って来て、アメリカの北岸を周航して、この度地中海へ入った事を知って居ますから、今ならば貴方に逢われるだろうと急いでこの国へ来たのです。」

 侯爵は並大抵でない心の騒ぎに、この様な一部始終は殆ど耳にも入らず、
 「何が何でも私は行きます。貴方が彼是仰(おっしゃ)るなら何独りで行きます。」
 重「そうですね、独りでお出でなさった所で、婦人の住む住居さえ分らないでしょう。」
 侯爵は眼を瞠(みは)り、
 「ナンですか、貴方は私の娘の住居を私にお隠し成さるか。」

 重鬢先生は侯爵の余りの急ぎ方に笑みを浮べ、
 「イヤ侯爵、何で私が娘御の住居を貴方にお隠し申しましょう。併し先ずお聞きなさい。その婦人は、今丁度貴方の二十年前と同じ様な、悲しい身の上に成って居ます。却々(なかなか)落ち着いて
貴方に逢って居られない程の場合です。」

 候「エ、エ、それはどう云う事柄ですか。私には少しもその意味が分かりませんが。」
 重「それは、只今貴方に写真を以って御覧に入れた、あの可愛い娘を何者にかに奪い去られ、丁度貴方が二十年前に娘を奪われた時と同じ様に悲嘆に沈んで居られます。」
 候「エエ、写真に写っているアノ娘も奪われた、それは、それは」
と侯爵は打ち驚きながら、又忽ちに思い出して、今迄は娘の事に心を奪われ、先刻フレツタの海浜で見た彼の少女の事を殆ど忘れる程であったが、彼の少女とこの写真の子と同じ事は、この写真を一
目見た時、既に深く心に感じ、口にまで出たのを、先生に制せられて言うことが出来なくて止んで居た所なので、

 「シテ先生、この写真に在る娘の名、イヤサ私の孫の名は何と云います。」
 重「これはその婦人が何となく、自分の記憶に薄々と残って居る名を取り、二葉と付けたと云うことです。」
 侯爵は嬉しそうに雀躍(こおど)りし、
 「何と仰る。この娘、イヤこの孫の名が二葉。」
 重「ハイ」
 候「さうして誰かに奪はれ、今以て行方が知れない?」
 重「ハイ」
 候「先生、有難い、実にこれ程有難い事はない。その娘、イヤ孫二葉の行方は私が知っていますよ。フレツタの海岸で漁師の家に預けられて居るのです。私はこの児、イヤ孫を連れ、それを土産に娘と対面致します。シテ娘の今の名は何と云います。」

 重鬢先生は侯爵の嬉しそうに云う所が何の事やら合点が行かない節も多いけれど、それらは侯爵が心の鎮まるのを待ち、緩々(ゆるゆる)聴こうと思い、
 「ハイ貴方の娘御は今は園枝と名乗っています。きっと古松の苫蔵が附けた名でしょう。」
 候「オオ園枝と云いますか。そうです。苫蔵が露見を防ぐ為に其の様な名を附けたのでしょう。元は二葉と云いました。ハイ私が二葉と名附けて置きました。それだからその二葉と云う名前が薄々自分の心に残って居て、出来た娘にそう名を附けたのでしょう。アア何でもフレツタの海浜であの少女の名を二葉と聞いた時に、余りに不思議だと思いました。先生、私は孫と娘と両人に逢う時が来ました。」
 
 重鬢先生は徐(おもむろ)に、
 「貴方がフレツタの海岸と仰るのは何の事です。」
 侯爵はここ到って、事の次第を詳しく語ると、今度は重鬢先生の方が却って無言を守る事が出来ず、まだ侯爵の言葉が終わらないうち、
 「実に侯爵、この様な不思議は有りません。私はその娘の行方の捜査を頼まれても、少しの手掛かりがない為に、殆ど探し飽倦(あぐね)て居たのです。そうすれば矢張り探偵が目を附けた通り、古松の仕業であった。」

 候「そうです。苫蔵に極まって居ます。彼奴め、娘を盗み、又孫を盗み。」
 重「フム、郵便局で彼奴、英国探偵に捕縛されても、二葉の事は決して白状しないに違いない。そうすれば英国探偵もまだフレツタの海浜には気が付かない。侯爵先ず貴方とご一緒にそのフレツタの海浜へ貴方の孫を引き取りに参りましょう。」





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