巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune24

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.11.17

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                二十四

 実に常磐男爵の新夫人園枝の様な人は、一代に二人とは存在しないほどの美人である。永谷が驚くのも無理はない。しかしながら、この夫人こそ我が身と男爵との間を遮り、我が身に落ちて来るべき男爵の財産を中途で横取りする邪魔者とばかり思えば、驚いた色は見せず、一通りに挨拶し、何事も唯皮林育堂に教えられた通り、気永く伯父男爵の機嫌を取るのが一番と断念(あきら)め、更に男爵の居間に至るに、男爵は美しい妻を娶った嬉しさに、非常に心も打ち解けては見えたが、心底からして永谷を許した者とは思われない。

 何の話よりも先に、財産の事を言い出し、この財産は男爵が若し死ねば、動産の三分の二を新夫人園枝に譲り、残る一部を親戚一同に然るべく別つ事とし、不動産は新夫人に子が生まれれば、その子が残らず相続し、若し生まれなければ、動産と同様、二部を夫人に、一部を親戚に贈ることとし、婚礼の翌日、既に法律家に頼み、その旨を遺言状の中に書き込んだと云う。

 アア、親戚に唯一部、そうすれば我が身には、僅かにその一部より多い筈はない。我が伯父は、これ程までも邪険な根性かと永谷は自分の悪るい事は顧みず、唯男爵をだけ恨もうとするが、男爵は語を継いで、

 「全体遺言状と云う物は、死んだ時に初めて開く者で、生前は誰にも話さないのが当然だけれど、それでは却って人を釣るような者だから、私は皆知らせて置く。その方なども、私が死ねば、大金でも転がり込む様に心得違いをしては成らぬ。その方には今は年々二百金と云う事にして有るが、私が死ねば、それを一倍半増して、一年五百金と云う事に定めて有る。」

 一年唯の五百金、是で幾百万と数知れない大財産の遺産(かたみ)なのかと、永谷は何事も唯自分の欲心に引き比べて、失望する事は並大抵では無かった。
 男爵は又語を継ぎ、
 「その方は何うしても心を充分に入れ替えて、何か修行し、身を立てる道を、自分で定めなければならない。私の生存中、年々二百金、死んだ後五百金は僅かだけれど、修行する人には充分だ。修行の上、きちんとした事業でも始めるとなれば、その時には私が充分に骨を折り、色々と助けて遣り、又資本も出して遣らない者でも無い。その外には私から助力を得る道は無い。何うすれば私が、この遺言を書き換えるだろう、などと思うかも知れないけれど、私はその様な気質では無い。容易に物事を取り決めないけれど、一旦取り決めたら、充分考へた上の事なので、又と決して取り換え無い。その方にも、唯万一の心得違いの無い為に、是だけ言い聞かせて置くのだ。」
 と言い切った。

 是れは実に、永谷を励まして、真人間に取り立てようとの慈悲にして、当然の事なれど、永谷は不平で仕方が無い。唯先日伯父に送った手紙に、少しも財産に感心が無い旨を記したので、今直ちに言い争う事も出来ず、止む無く怒りを胸に包み隠して耐えたけれど、是も結局は、彼の美しき新夫人が出来た為であると、只管(ひたすら)新夫人園枝への恨みに帰した。

 是からは、何かに附けて、園枝夫人に非難すべき所は無いかと、そればかりを心に掛けたが、不思議に新夫人は、その挙動(ふるまい)、その物言い、良人(おっと)男爵への仕(つか)え方、下々の者に対する取り扱い、その他万事の心掛け、努めずして自ずから行き渡り、何事も皆真心から出て、少しも面を飾る所なく、真に天から、この家の新夫人に造(つく)られたかと、怪しまれる許かりである。

 勿論永谷は、前から皮林育堂が、男爵の従者密蔵から聞いた所により、この新夫人が、二年前に乞食の様な有様で、男爵に救い上げられ、その後教育された身分である事を、知って居るので、その振る舞いの何れの所にか、必ず乞食らしい癖が現われるに違いないと、上部(うわべ)は打ち解けた様にして、新夫人に交わって、隙間無く見張ったが、その甲斐なく、見れば見るほど、生まれ付きの貴夫人にして、幼い頃から、高貴の家に育てられた身の上としか、見えない。

 こうして居る中、空しく二週間ほど過ごしたが、男爵は遠からず、新夫人の披露を兼ねて、大勢の客を招き、懇親の情を温めたいと考え、それまでに、我が領地に在る名所などを、悉(ことごと)く新夫人に知らせて置こうと言い、日々正午から馬車を命じて、夫人と共に之に乗り、更に永谷をも従わせて、諸所に出て行く事としたが、5日目には領地第一の景色と知らている、鷺(さぎ)が峰と云う所に上る順とはなった。

 例の様に馬車でその峰の麓まで到り、それから徒歩で、男爵自ら夫人の手を引き、目に遮る遠近の風物を指点(してん)《指し示す》しながら、緩々とその絶頂間近い所へ達したが、ここは風雅の心の無い田舎人などの来る所では無い。一年に三人五人、詩人、画工などが、名を聞いて折々に尋ねて来るくらいなので、何人も居合わす筈は無いと思われるのに、怪しいことに、傍らの松の下に、馬具も美々しい、一頭の馬が繋(つな)いで有って、乗るべき主人は、居るのか居ないのか定かで無い。

 男爵は先ずこの馬を認め、
 「オヤ、オヤ、今頃ここへ来る風流人が、何処かこの近村へ来合せて居ると見える。」
と独り言の様に言い、更に最も高い所に登って行くと、今見た馬の乗り主であるか、旅の装束に身も軽そうに、打扮(いでた)った、年若い一紳士、木の株に腰打ち掛け、絵の道具を開き持って、余念も無く風景を写しつつ有る。

 男爵は驚かすのも心無しと、その儘(まま)立って、控えて居ると、永谷はこの若紳士の姿を見て、真実打ち驚いた様に、
 「オヤ、皮林育堂君、君は先ア、何うしてここに居るのか。」
と叫んだ。


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