巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune4

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.10.28

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                   四

 この様な所へ酒店の主人も彼の一ダースの酒を非常に重たそうに提げ持って入って来た。少女園枝はその顔と父古松の顔を見較べ、又なぜか非常に恐ろしい事柄でも思い出したものの様に、殆ど顔の色を変えた。この時は船長立田も充分その顔色を見て取る事が出来て、さてはこの少女、自分の父を恐れ、父の親友をも恐れる者と見える。きっと辛い事ばかり多い身の上に違いないと思った。

 頓(やが)て古松は主人と船長とに長椅子を与へ、酒の瓶(びん)の縄を解き、三瓶だけ卓子(テーブル)に残し、他は皆、自分の椅子の下に置き、飲み干し次第に新しい分を取り出す用意を整い終って、更に少女に向い、非常に口穢(ぎたな)く、
 「コレ、園枝、お客様が来たのに、何を其の様に苦い顔をして居るのだ。何か酒の肴に成る者を持って来ないか。馬鹿奴。」
と叱り付けるのは、下女端下を使うより、もっと荒々しい。

 園枝はこの叱りに応ぜず、却って父を充分に見降す様にその太く清らかな目を開いて、父の顔を眺めるだけ。世にも珍しい不和合の父娘である。古松は益々腹立たしそうに、
 「何だ、返事も仕やがらぬ。俺の云う事を聞かないと又是だぞ。」
と云い、拳を示して、肩を怒らせ、アワヤ椅子から立って行こうとする。

 この剣幕に園枝は初めて驚いた様に、
 「今捜して、持って行きますよ。」
と答え、立って戸棚の方に行った。その後に、古松は苦々しく笑いながら、
 「女ほど心の堅意地な者は無い。面(つら)が美しければ美しいほど益々心が拗(ねじ)けて居る。本当に始末に終えない。」
と言解(いいわ)けの様に呟(つぶや)いた。

 船長立田は是等の有様を見、更に容貌の違いなど考え合わせて、この親子は決して真の親子では無いと思い、従って又、この様な意地悪で無作法な男を親とする園枝が、如何ほどか辛いことだろうと察して遣り、我れは何としてもこの少女を救い出し、連れ去って、行く行くは我が妻ともして、世に晴れ晴れと出して遣ろう。この父の許(もと)に置いては、生涯苦難を免れる時は無いだろうなどと思い、園枝が果たして我が親切を有難いと思うかどうか、又真に我が愛に報い、我が妻となる事を喜ぶだろうかなど、否ナド云う事は惟(おも)いみる暇も無く、一図に決心したのは、未だ海の中を知る程に、憂き世の中を知って居ない、若い船長には無理も無い事だ。

 その内に園枝は冷肉二品ほど集めて来て、
 「是だけしか有りません。」
と云って卓子(テーブル)の上に置いた。
 古松が若し真の父ならば、幾らかの恩愛は必ず有り、切(せめ)ては客への愛想としても、この卓子(テーブル)に居並ばせて、娘相当の席を、与えるべき筈の者である。取り分けて世に並び無い我が娘の美しさに、自慢の一言二言は発するべきなのに、彼それも無くて、

 「是で手前は用は無い。」
と言い切り、更に
 「アノ老い耄(ぼ)れは何うした。」
と問う。
 きっと先の夜、提琴(バイオリン)を弾いていた、老音楽師の事に違いない。園枝は宛(あたか)も父を矯(たしな)めようとする様に、
 「アノお爺(じい)さんですか。」
と言い返した。

 古「知れた事よ。彼奴(あいつ)より外に、この家に老い耄れ爺(おやじ)は無い。彼奴(あいつ)は何うした。」
 園枝は屈せず、
 「ハイ、お爺(じい)さんは寝て仕舞いました。」

 古松は呟(つぶや)きながら、
 「一々お爺(じい)さんと云い直す仕様の無い堅意地者だ。サア手前も二階へ行って寝て仕舞へ。もう用は無い。サア」
と宛(あたか)も邪魔になると云う様な語気で言い放つのに、園枝は怒っているのか賤(いや)しんでいるのか、再び大きな目を開き、その黒い眼で最(いと)も冷ややかに古松の顔を見降すのは、目付きで叱り制する者に違いない。

 この様にして更に静々と席を離れ、二階を指して上り行くその姿、実に貧家の娘では無い。態度自ずから備わって、口にも筆にも尽くされない気品がある。だからと言って険しい様は無く、真に天女の身のこなしである。百万の朝臣に拝謁を賜(たま)い終って、玉階に退き給う女王と云っても、これ程までに品位の高いことは無いと、船長は只管(ひたすら)感じ入って、その後影を見送る間に、園枝の姿は雲に入る月の様に隠れ去った。

 父古松はなおも舌打ちし、
 「本当に使様の無い堅意地物だ。アノ生意気な目付きを見ると、酒の旨味も消えて仕舞う。」
と云ったが、ややあって何か思い出した様に、手燭(てしょく)を燈(とも)して携(たずさ)え持ち、園枝の後を追って二階を指して進み行き、その階段を上り尽くと、園枝はその階段の尽きる所に、何やら心配そうにしょんぼりと立っていた。


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