巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune43

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.12. 6

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

            四十三

 古塔の窓から灯火(あかり)が指さないのは怪しむべき限りだが、成るほど、皮林育堂の云う様に男爵が横たわっているのは、塔の彼方に面した部屋なのかも知れないと、園枝は漸く思い直して、向うに見える塔の石門を目指し、皮林と共に、堀に架けた狭い橋を渡り始めるが、この堀は水際までの深さは何十メートルあるか分らず、両岸総て絶壁の様な崖で、人の掘った堀なのか、将(は)たまた天然に成る千尋の谷なのか、夜目には見分け事が出来ない。

 橋は昔の城の堀に多く架けてあるのを見る、一種の吊橋にして、取外し自在な者と思われる。若し一歩過って、踏み外せば深さの知れない谷底に落ち、身は粉に砕けて果てるだろうと、園枝は総身の震えるほど怖気附(おじけづ)いたが、そのうちに事も無く渡り尽くした。

 皮林は落ち着き済まし、
 「私は名所古跡を尋ねるのが好きで、この塔へも二度ばかり来た事が有り。中の案内は略(ほ)ぼ承知しています。暫く茲(ここ)にお待ち成さい。今乗って来たアノ馬車を良く繋(つな)ぎ留めて来ますから。」
と云い、園枝の返事も待たずに、再び今の吊橋を渡り、堀の外に出たが、頓(やが)て姿は見えなくなった。

 園枝はこの様に手間取る間も、良人男爵が益々臨終の苦しみに近づきつつ有るかも知れないと、殆ど気が休まらなかったが、後にも先にも、独りでは進み難い場所なので、仕方なく佇立(たたず)んでいると、塔の何処かで梟(ふくろう)の鳴く声がした。物凄い事と言ったら、譬えようが無かった。

 そのうちに皮林は帰って来て、
 「大変お待たせ申しました。サア行きましょう。私の手にお縋(すが)り成さい。」
 この時堀の辺(ほとり)で何やら鉄の鎖の様な音がして、ガラガラと落ちるような凄まじい音がしたけれど、園枝は良人を気遣(きづか)って、他のことを考える暇も無い時だったので、何の音か怪しみもせず、そのまま皮林の差し出す手に縋ると、皮林は園枝を導き塔の中に入れ、一方の隅と思われる所に在る階段を上り始めた。

 この階段は石で作られて螺旋形に積み上げた者にして、苔の為か、湿りの為めか動(やや)もすれば足踏み滑べる恐れがあったが、園枝は一歩一歩に踏み占めて、一段一段登って行った。凡そ段の半ばにも達したかと思う頃、顔に明かりがパッと照ったので、驚き踏み留まって見上げると、屋根の所々に破れ目を生じ、之れから秋の月が洩れて居るのであった。

 唯だこの月の光の外に何の灯(あかり)とても無く、四辺(あたり)は寂(せき)として静かなので、園枝は又も怪しんで、
 「皮林さん、良人男爵は何所に居ます。塔の何所にも灯火(あかり)は無く、人の声も聞こえませんが。」
 皮林は返事をせず、唯だ命令の様に、
 「茲(ここ)で問答などして居る場合では有りません。サア今一息です。登りましょう。」
と云い、又も園枝の手を引いて登り行こうとする。

 園枝もこの言葉に従う外無いので、又も幾十段をか登り、漸くその段の尽きる所に達すると、開き戸の朽ちた跡かと思われる閾(しきい)があった。之を潜(くぐ)って中に入ると、茲(ここ)はこの塔の頂上(てっぺん)であった。隈(くま)無き月は直ちに頭の上に落ち、見渡す限り広漠として際限(はて)が無かった。

 旧(もと)は屋根の様な物が有ったのだろうと思われるが、今は唯だ柱の根礎(ねずい)と、塔の周囲(ぐるり)に、昔戦争の為設けたと思われる凹凸形の銃眼を存するのみであった。

 人の声、人の形と言ったら、目に耳に見えも聞こえもしない。
 園枝は限りなく驚いて、声も忙しく、
 「オヤ、この様な所へーーー、皮林さん、良人男爵は何処に居ます。茲(ここ)は荒れ果てた塔の中で、人の住む様な部屋とは見えませんが、サア、良人男爵は何所に居ます。」

 皮林は石に化したかと疑われるほど冷淡に落ち着いて、
 「ヘエ、貴女の良人常磐男爵ですか。そうですね、今頃は多分はご自分の住居常磐荘園に居るのでしょう。」
と空嘯(うそぶ)き、やをらその腰を柱の根礎(ねずい)の上に卸(おろ)し、斜めに手を延べて凹凸の銃眼に凭(もた)れ寄り、塔の下に横たわる、広漠の景を眺めるだけ。殆どその身が何の為に茲(ここ)に来たのかを忘れたかの様だった。

 園枝はこの返事を聞き、余りの意外に、未だ充分に理解する事が出来ない様に、
 「エ、エ、男爵が常磐荘園に、貴方は気でも違いましたか。私の聞き間違いですか。皮林さん、私の良人常磐男爵が、今常磐荘園に居るだろうと仰るのですか。」

 皮「そうです。活(いき)た紳士の事ですから、何所から何所へ行く事は、確かには分りませんが、多分は常磐荘園に居るのでしょう。先刻遊山場から馬に乗り、常盤荘園に帰りましたから。」
 園枝は且つ驚き、且つ怖れ、
 「常磐荘園へ帰ったなら、何で貴方はこの様な所へ、私を連れて来ました。」
と非常に鋭く叫び問うたが、無理はない。


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