巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune89

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.21

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                 八十九

 園枝は此の数日を経て、同じ岩波判事に第二回の調べを受け、夫(それ)から数日を経て第三回を受けた。そもそも、勿論自分が犯していない罪なので、弁解の出来ないところと云っては全く無く、何もかも言い開きはしたけれど、いつも唯口先の言い開きで、確かに斯(こ)うと示すことが出来る証拠は無いので、判事も一々は信じない。

 詰まる所其の張本人、古松が捕われる迄、留め置く様に言い聞かされ、園枝には罪が無いのに、この様な調べを受けるばかりで、何時までとも知らず留め置かれる悔しさに耐える事が出来なかった。

 それにしても、今迄の積もる不幸から、此の後の身の振り方などを思い廻すと、恐ろしいとも悲しいとも云いようが無く、何の思案も無く、泣くばかりだったが、泣いていても仕方が無い場合なので、我が不運と断念(あきら)めて、空しく寒い獄(ひとや)の裏で、成り行きを待つばかりだったが、それにしても此の嫌疑の張本人は、如何しているのだろう。彼は何時になったら捕らわれるのだろうか。

 茲(ここ)に先ず皮林の事からして、古松の事を説いて行くと、さても皮林は古松を避けて泊まった宿屋で、意外にも古松に逢い、其の上散々脅(おびや)かされ、古松を殺そうと決心しながらも、却(かえ)って彼に度胸を奪われ、其の事も果たすことが出来ず、止む無く己(おの)が室に帰って、寝床に入ったが、凡そ悪人の身に取って、我が身の悪事を知る人ほど、煙たい存在はない。

 その人が我を責めると責めざるとに拘わらず、何と無く邪魔になり、その人に向っては、殆ど身も竦(すく)む程であるとか。
 況(ま)して古松は、唯皮林の悪事を知るばかりでなく、確かなる証拠迄握り、動(やや)もすれば、其の罪を暴いて、訴へようとする勢いなので、皮林は急に天地が狭くなった思いがして、眠ろうにも眠られなかった。

 どうしたら好いだろうと、煩悶(はんもん)《苦悩》の中に一夜を明かしたが、どの様に考え廻しても、一時の所は彼の言葉に従い、土地を立ち去る外は無い。立ち去って、暫(しばら)く此の身の安全を図れば、其の中に、好い機会も現れて、必ず彼をあべこべに我に従わせる時もあるだろう。兎に角朝の間に、今一度彼に逢い、其の言葉に折れ従う旨を延べ、彼に安心油断させて置かなければならないと、この様に心を決めたので、まだ朝飯も済まない前に、昨夜入った彼の室を尋ねて行くと、怪しや彼十口松三の姿は見えなかった。

 更に主人を呼んで尋ねて見ると、昨夜の客は、今朝まだ暗い中に払いを済ませて立ち去ったと云い、更に、
 「オオ、其の立ち去る時、貴方が目を覚ましたら渡して呉れと言って、私へこの様な物を預けて行きました。」
と答え、衣嚢(かくし)の中から、一通の手紙を取り出して差し出すので、皮林は怪しまれまいと、

 「そうだらう。俺に挨拶もせずに立ち去る筈はねえテ。」
と云い、主人を退けて封を切ると、
 「君は余の目の中にあり、如何に姿を変えようとも、何れの所に隠れるとも、余の眼を欺(あざむ)くことは出来ない。速やかに余の言葉に従って此の土地を去り、神妙に余の指図を待つべし。若し此の命令に背けば、三日を出ない中に、君は獄中の人になるだろう。」
とあった。

 今更敢えて驚かなかったが、実に厳重な命令の書き方である。今迄様々に苦労して種を蒔き、其の種のまだ稔らないうちに、茲(ここ)を去るのは、残り惜しい限りであるが、又どう仕様も無い。
 皮林は悔しさに歯を噛みながら食事を済まし、先ず此の宿を立ち出たが、何(いず)れにしても、一応彼の男爵の甥である、永谷礼吉に逢い、後々の運動を言い含めて置かなければならない。十口の手紙には「三日を出ないうちに」
と有るので、三日間に立ち去れば安全だろうと、この様に自ずから解釈して、此の日の中に再び姿を変じ、旅商人より更に零落(おちぶ)れた音楽師となり、乞食同様の身姿で常磐家を窺(うかが)が、不幸にも永谷は出で来なかった。

 其の翌日又も同じ姿で常磐家に近づいて、日の暮れる頃迄待ち、漸(ようや)く永谷が、独り物思わしそうに裏庭を漫歩するのを認めたので、其の門の際まで来るのを待ち、
 「永谷君、驚くには及ばぬ、僕だよ。」
と云って身を現すと、永谷は幽霊にでも逢ったほど打ち驚き、其の儘(まま)中へ逃げ入ろうとした。

 皮「永谷君、逃げて入れば僕も一緒に入って行くよ。」
と嚇(おど)かして、漸(ようや)く彼を引き留め、
 「君はもう男爵の相続人成ったから、僕を邪魔にするのか。夫(それ)ならば僕には別に考えがある。」
言葉の中に充分脅しの心を含んだので、永谷は益々恐れ戦(おのの)いて四辺(あたり)を見回し、蟲の音より小さい声で、

 「イヤ爾(そう)ぢゃない。力とする君が居ないので、僕は心細く成って来た。」
 皮林は嘲笑(あざわら)い、
 「ヘン、初めから命掛けの仕事ぢゃ無いか。今に成って気の小さい事を云い給うな。併し君が心細いと云うのを見れば、屋敷の中に何か変わった事でも有るのか。」

 永「何だか毒殺の調査が益々厳しく成って来るから、僕は今にも露見するかと思って。」
と云い、是から彼の探偵横山長作という者が、不意に倫敦(ロンドン)から小部石(コブストン)大佐を尋ねて来た事を初め、其の横山と云う者が、前から園枝を付け狙う者で、男爵を説き勧(すす)め、愈々(いよいよ)園枝を訴える事に決した次第を述べると、皮林も既に十口松三と云う、我が身の悪事を悉(ことごと)く握る人が有るのを知り、幾分か不安の思いが無いわけでは無いが、何食わぬ顔で、

 「ナニ、訴へさえすれば園枝が言い抜ける事は出来ない。必ず罪に服するから、我々は却(かえ)って安全と云うものだが、シタが其の横山と云う探偵が、以前から園枝を附け狙うとは何故(なぜ)だろう。」
 永谷は我が聞き知る丈を述べ、園枝が古松と云う悪人の娘で、昔古松と共に、横山長作の恩人を殺した由を語り、更に横山は古松と園枝とを捜す為のみの目的で、探偵の仲間に入った事まで告げると、皮林は忽(たちま)ち聞き耳を立て、

 「何だと、園枝の父が古松、其の古松に人殺しの罪が有って、多年探偵が捜して居る。ハテナ古松、ハテナ園枝の父、アア分かった彼奴(きゃつ)だ。彼奴十口だ。フム、彼奴の目的までも分かった。有難い、有難い。」
と云い、皮林は我を忘れて躍(おど)り立った。


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