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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012.12.26

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第十五

 読者よ。妾(わらわ)が古山男爵と夫婦のように手を引いて旅をするのを見れば、村上は地の下で如何(どう)思うだろう。妾の薄情を責めやしないだろうか。妾が古山を愛すると思いはしないか。愛するため二人で駆け落ちするために池の底に突き落としたものと恨みはしないか。妾は汽車の中にあってもただその事ばかり気に掛かり、安い心は少しも無かった。

 このようにするうちに日は漸く暮れて車室の中は唯ランプの明かりがあるだけ。窓から外を眺めれば野か山か一面に黒幕を垂れたのに似ていた。村上と会ったのはこの様な夜だった。彼の死に水の音はまだ耳に残る心地がする。せめて相乗りの客でもあれば心が散るよすがともなるのに、朝から夜になるまで古山と唯二人である。

 親しい友同士でも話の種が尽きるものを、ましてや心解けない古山と差し向かいである。古山は折があれば話を始めようと持ちかける様子だが妾は知らない顔で唯無言で控えるだけ。コレほど気の詰まる道ずれは又とない。このようにしているうち妾は心の疲れからか昏々と居眠りを始めた。もとより汽車の中なので眠るともうまくは眠られず、夢か現(うつつ)か、汽車の響きが絶えず耳に入り、眠ろうとしては覚め覚めようとしては眠る。

 その間に心に行き交うのは唯村上の姿だけ。泡に塗れて妾を恨む様子のみ。アア夢になれ。夢になれ。妾は半ば眠りながら祈っていたが、汽車の響き忽ち変わり、ごうごうたるその音、宛(あたか)も秋風の恨みを帯て怒号するのに似ていた。又妾の罪を訴えるかと怪しまれる。驚き目が覚めて目を開けば、古山は物に襲われた様に青い顔をして額に汗が浮かべているだけ。

 何事ですかと聞こうとするが、妾は喉を握られる心地がして声さえ出ない。強いて窓の外を眺めると両方とも築き上げたレンガの壁で、かつて聞いたトンネルと言うものではないか。汽車の響きが変わったのはさてはこれのためであったかと気が付いて、目を離そうととする時に、妾は宛もレンガの壁に我が眼が引き付けられるようだった。離そうとするのに離れず、この時の恐ろしさは今思っても実に冷や汗が背に満るのを覚える。

 読者よ。妾が眺めて居るうち、トンネルの壁に黒く現れた人影があった。泥に塗れた村上の姿である。妾は心の迷いと思っったが、迷いではない、何度も妾の夢に現れたその姿と同じものだ。傍に居る古山さえもこれを見て戦っているようだ。これはもしや妾か古山の姿ではないか、それとも隣の室に乗っている客の影がランプに反射してこの様に写ったものではないか。そうは思ったが何ゆえ妾が夢に見た村上の姿と寸分の違いがないのか。

 今もしこのトンネルが一町(109m)長かったら妾はその影に襲われて気絶するかも知れないところだったが、幸いなことにトンネルが尽きると同時に影も又消え失(う)せた。妾は唯古山と驚いた顔を見合すばかり。彼も口を聞かず、妾も口を聞かず。古山が何を見て驚いたのかは知る由もないが、彼も妾に劣らないほど驚いたことはその顔色で明白だった。

 無言のまま眺め合って凡そ二十分間にも及んだ頃、古山は深い息を吐いて、
 「アアー」
と言ったが、未だ恐ろしさに震える声で
 「降りようよ。次の停車場で。」
 妾もこの上一刻たりとも汽車の中に居る気はない。
 「ハイ、降りましょう。」
 (古)降りて何処かに泊るとしよう。
 こう言う折りしも汽車はそろそろと停車場に入ったのでほっと息をして二人は降りた。

 (妾)ここは何という所でしょう
と問うと、古山は妾に知らせる必要はないと思ったのか、
 「何処だか知らない。」
と答えたが、彼は諸国を旅した男なので真実知らないはずはない。道案内さえ十分に知ったように先に立って妾の手を引き、狭い町を右左に潜(くぐ)って、やがて非常にむさ苦しい下等の宿に着いた。妾は宿屋に入ることは生まれて今夜が初めてだが、余り下等なのに驚き、古山を引き止めて、

 「オヤ、この様な宿に」
と言うと、
 (古)「イヤ、これも用心のためだ。上等の宿屋へは手が回っているかも知れない。」
と言った。
 妾はこの返事を聞き、アア、我が身は既に天にも地にも居られないのかと悲しさに振るえ上がった。しかしこの夜は事もなくこの宿の一室に入って眠った。朝の九時過ぎる頃まで妾は死人の様に何事も知らない。漸く起きだして古山が特別に上等な食事を命じ、食べ終わッたのは正午十二時だった。

 食事が終わるのと同時に古山は買い物に出て行ったが、凡そ三十分が経った頃、一枚の新聞を手に持って、あわただしく帰って来た。
 「コレこの通りだ。」
と妾の前に差しつけた。見ると昨夕発行のパリの新聞で、その雑報の第一に下の記事を載せていた。

 載せたり、読者読め。
  ◎恐ろしい人殺しの露見。

 妾はこの見出しを一目見て、思わずも跳ね返り、
 「オヤ、もう村上の死体が分かりましたか。」
と叫んだが、
 「イヤ、そう驚かずに読むが好い。村上より外にもう一つ吾女(そなた)の悪事が露見したから。」
と十分に妾を睨み付けて言う。アア、村上より外にもう一つの悪事とは何事だろう。妾はその他の悪事は知らない。

 「エ、外の悪事とは。父に知らさず出奔した事ですか。」
 (古)イヤ、黙って読めば分かる事だ。見出しにある通り、矢張り人殺しの一件。
 サア、村上の他になお人殺しの一件ありとは、妾は更に合点が行かず怪しむ心に気を取り直し読み下す。
 下文に言う。

 「古池家の古池と言えば知らない者が居ない一種の古跡であるが、この頃医師村上達雄と古池家の客だった洲崎嬢がこれに落ちたのではないかとの嫌疑で古池侯爵はこれの浚渫(しゅんせつ)に着手したが、名にしおう広い池なのでその水は中々乾き尽くさず、この新聞を印刷に付する頃(午後三時半)漸く七分通りその底が現れるに至った。

 真ん中の辺りはまだ幾丈《何メートル》の深さがあるか分からないが、ここに恐るべき事件と言うのは、昨夜のうちに岸からわずか一尺(30cm)ばかり離れた泥の中から洲崎嬢の死骸が現れ出た。探偵はこれを検査し、既に犯罪の証拠を得た。全く自ら落ちたものではない。確かに他人に突き落とされた証拠があるとの事である。

 なお村上の死骸は深いところに沈んでいるに違いないとの鑑定で、しきりに浚渫を急いでいることなので、これも明朝までには現れて来るに違いない。又ここにもっとも人々の注意を引き起こした一事は、古池家の令嬢華藻嬢の逃亡である。嬢は洲崎嬢と村上氏の落ちた夜から神経的な熱病に侵されていたが、古池の浚(さら)えと聞いて、昨夜のうちに逃げ去った。嬢は密かに村上氏を愛して洲崎嬢を妬(ねた)んでいたとも言うことである。

 警察では厳重に嬢の行方を探索中である。すでにその手がかりもありとやらで、嬢の従弟である古山男爵が警官の許しを得、嬢の後を追って行った。嬢は古山男爵と許婚の仲と言えば、古山男爵がよく心配するのも無理はない。男爵の手柄で嬢を連れて帰るのも遠くはないとの説である。

 読者よ、この記事をつくづく読んで妾の心に起こって来る驚きと不審のかどかどを察せよ。

注;1丈=3.03m 1丈=10尺

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