巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 12.13

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                 第二回

 読者よ、妾(わらは)の愛は日に募るばかり。妾は侯爵家の一人娘、村上は名も無く身分のない医者の弟子。如何に愛したからと言って末遂げる見込みは無い。されど妾の心は既に愛のために迷い、妾の眼は愛のために眩(くら)んでいる。村上の為には名誉も捨てよう。身をも落とそう。家柄もなんになろう。我が命もいらない。

 村上と一緒なら世界の果てにも行こう。地獄の底にも落ちよう。村上は妾の為の命なのだ。極楽なのだ。このような恋は又ほかには無い。アア妾、アア村上、村上の思いも妾と同じだ。しかしながら彼は妾の身分の高いのを見て、届かない事と諦めたのか唯打ちふさいで日々に痩せ衰えるだけ。

 妾から声を掛けると顔色も急に晴れ渡り、天にも地にも余る程喜ぶ心が、妾の目には十分見えるけれど、父はまだ気が付かないと見える。妾は何とかして村上に身分も家柄も惜しいとは思っていない心を悟らせようと思うがこのようなことをどうして妾から言い出せようか。

 何時も唯悟って欲しいと思う言葉使い、悟って欲しいという身振りを示すだけ。村上もやや口先まで出ることはあるがその度に自分の身分に恥て思い留まって打ち鬱(ふさ)ぐ。アアその胸の中が思いやられる。このような状況なので村上は朝一時間来て、五十分は 妾の所で費やし、妾も夜二時間来たらば一時間半は手元に留め、互いにそれとは打ち明けずに心意気を通わせるばかり。もし打ち明けて我が恋人よと呼び交わすこととなったらどれほどか楽しいことだろう。

 父は唯妾と村上をば気心の合う者と思うだけで愛情のある事とは少しも知らないので、村上が長く 妾の元に居るのを怪しみもせず益々彼を贔屓にして小宴にも招き、夜会にも呼び、全くの紳士をもてなすように彼をもてなしている。

 一人妾の従弟・・・父の眼鏡にかなって妾の婿にと定めた古山男爵・・・はもとより妾と許婚の約束も何も無いけれど、心配で仕方が無いと見え、時々妾の部屋を覗くこともあり、嫉妬の目つきで妾を睨むこともある。村上が来て帰るまでは何時も不機嫌だが妾はこのような人の不機嫌を恐れるはずは無く、知らない振りで打ち捨てて置いた。

 或る日の事、父と 妾は古山男爵と三人落ち合って様々な話を始めたが、父は村上の事を言い出し、
 「アノ男は若いのに似合わず感心だ。貧民には無料で診察してやる上に、金まで恵み、月々の所得さえ大抵貧民に遣ってしまうと言う事だが。」
 古山はこれを聞いてたちまち苦々しい色を現し、
 「彼奴(きゃつ)は野心があるから貧民の体を手習い草紙にするのです。少しの金で人の命を買い、勝手次第の治療を施して色々と試しているので、今にも一人前の医者になれば貧民などは相手にもしなくなるでしょう。」
と非常に憎憎しそうに罵(のの)しるので、妾は聞きかねて、
 「貴方、居ない人の事をその様に言うものでは有りません。自分でまだ芸が足りないと知り、金を出してまで治療するなら猶更(なおさら)感心ではありませんか。」
と言い込むと古山は 妾の一言には何時も逆らう事が出来ない人なのに、今日はこの言葉が嫉妬の種となったのか、

 又父に向かって、
 「貴方は余りアノ様な奴を引き立ててはいけません。ここへ来て好い物を食い、好いもの見るなどするうち、段々と増長して身分不相応な物を望むようになりますから。」
と如何やら妾に当て付けて居るようであるが、父は悟らず笑いながら、

 「ナニ俺がこうして引き立ててやれば段々世間の信用も増し、そのうちに金満家の娘でも貰うような運が開くかも知れない。」
と言って事も無げに返事をした。アアこの言葉で察すれば父は早や村上に妻を世話する気持ちもあるのかも知れない。油断もならない事だと妾は気を回して心配し、日が暮れて村上が来るのを待ち兼ね、早速彼を塀の外にある池の際に誘って行った。

 塀と池との間は幅二間(3.6m)ほどの芝地で 妾は日ごろここを愛し、夜に入っても散歩することが多いうえに、僕(しもべなどの来る恐れも無い。ことに今夜は月も照り青い池の面(おもて)を見下ろす様は言いようも無い好い眺めなので、ゆっくりと話をしようとこの様に誘って来たのだ。

 やがて有り合わす腰掛に居並び、妾は先ず村上の顔を見ると、何時もより物思はしげに打ち塞ぐばかりなので、
 「村上さん、如何なさったのです。貴方そうお鬱(ふさぎ)なさっては、私は心配でなりませんわ。」
 村上は打ち萎れて、
 「ハイ、これが鬱(ふさ)がずにはおられません。今夜はお暇(いとま)乞いに来たのです。」

 (妾)エエ、暇乞い、貴方は私を捨てて何処へか行っしゃるのですか。
 (村)ハイ、行かねばなりません。何時まで思ってもどうせ及ばぬ事ですから。もう初めてお目に掛かった時から色々と考えましたがどうせ届かぬものなら今のうちに断念(あきら)めて世界の果へでも身を隠します。
 (妾)アレ、貴方は何でその様な心細いことを仰ります。何をその様にお断念(あきらめ)なさるのです。」

 村上は唯俯(うつむ)いて鬱(ふさ)ぐのみ。妾は擦り寄って、  「エ、世界の何処に行きます。」
 (村)「何処とも当てはありません」
と言う声もかすかである。この時村上の膝に置いた妾の手に熱い涙がポトリポトリと落ちて来たので妾も我知らず泣き声になり下から村上の顔を覗き込んで、

 「え、貴方、何をお断念(あきら)めなさるのです。村上は言いたそうにして言う事も出来ず、少しの間口籠っていた末、直かすかに、「貴方をー」」
 (妾)「なぜ私を」
 (村)ハイ、貴方を愛していますから-どうせ届かない愛ですから
 アア、読者よ。妾は初めから愛の一字を聞こうとして村上を慕っていたのだ。村上は愛の一語を言おうとして妾に焦がれていたのだ。一度口を離れては妾も村上も唯愛の言葉に咽ぶのみ。

 読者よ妾は生まれかえったような身となった。これから後は村上のために生き、村上のために存(ながら)えよう。村上は妾である。妾は村上である。世界の果に行くには及ばない。行くなら共に行こう。楽しい仲で嬉しい縁だ。

 しかしながら読者よ、妾と村上の約束は秘密の約束である。人に言われない縁である。もし父に聞かせたなら如何なることだろう。
 秘密、秘密、世に秘密ほど恐ろしいものは無い。妾の罪は総てこの秘密の中にあるのだ。

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