yukihime9
雪姫
作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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第九回 「公判の日」
罪人と婚礼した恐ろしさに、清子が悶絶して倒れた事は、誰一人知る者は居ない。数刻の後、友子は食堂に入って、清子が来て居ないのを怪しみ、扨(さ)ては今朝、幾時間も散歩した為、疲れて昼寝でもしているのか、或いは夏の初めの肌慣れない暑さの為、気分でも悪くなったかなどと気遣い、
食事をそこそこに終えて、以前から清子が好きな果物を、二、三種を携え、その部屋に行って見ると、日頃の生き生きした色艶にも似ず、顔一面青くなり、唇を噛みしめて、床の上に倒れて居る様子は、殆んど死人かとも疑われるほどで、驚いて抱き起こし、
「清子さん、清子さん、気を確かに持たなければなりません。」
と言い、更に冷や水でその顔を拭いなどすると、清子は漸く正気に返り、太い目を見開いた。
日頃の麗しく、愛らしい目許は、恐れを帯びて窪み、瞳も広がって、しっかりと友子の顔を認めることが出来ないのは、暑さの為の気絶に違いないことは明らかなれど、友子は唯だ正気の返ったのを喜び、その他のことには気も附かず、
「オオ清子さん、お気が附きましたか。私がここに居ますよ。コレ友子がお傍に附いて居ますよ。」
と呼び励まし、手に手を尽くして介抱するは、真実に清子を、子の様に妹の様に思う、深い親切の為であることを、看て取ることが出来る。
今までならば、清子は、五月蠅いと言って友子を突き退けるべき所であるが、身の過ちの恐ろしさに、全く我まま強情の角も折れ、漸く友子の顔を認める事が出来ると同時に、
「オオ、友子さん、好く助けて下さいました。」
と言い、そのまま友子の首に縋り附き、暫(しば)し離れようともしないのは、物に驚いて母の身に縋(すが)り付く小児の様(さま)に異ならない。
友「貴女は先ア、何うなさったのです。暑さにでも中(あた)りましたか。気分は何うです。直ぐにお医者を呼びましょうか。」
と気遣(きづか)わしそうに問う言葉に対し、非常に悲しそうに、
「ハイ、私はもう、貴女の親切を受けられる身では有りません。今という今は思い知りました。どうか人に顔を見られない所に連れて行って、此のまま死なせて下さい。ハイ河畑郷(かわばたごう)へ連れ帰って下さい。」
と叫ぶのみ。
されど、体だけは間もなく以前の様に戻った。心は戻るにも戻りようが無く、唯だ打ち萎(しお)れて、深く深く鬱(ふさ)ぎ入るのみなので、友子は事の前後を考え、或いは彼の悪漢下林三郎の捕縛せられた一条が、世間慣れして居ない神経に、障(さわ)ったのかも知れないと怪しみ、
オーストリアに居る清子の父に向け、詳しくその顛末(てんまつ)を認(したた)め、更にこの土地に留まるべきか、将又(はたまた)何所かへ転地すべきかとの旨を、問い送ったところ、父より早速に返事があった。
縁もゆかりも無い悪漢の事柄が、そうまで深く清子の神経を乱すとは思われない、健康が優れないないとならば、猶更(なおさら)その静かなアイナの海浜で、保養するのが良いので、初めに定めた通り、涼風の吹く頃まで逗留せよと言って来た。
友子はこの手紙を持って行って清子に示すと、何時もならば、父の手紙と聞くと飛び立って受け取るはずなのに、開いて読むのも面倒そうで、
「貴女が読んで聞かせて下さい。」
と請うばかり。
それならばと、友子は読み聞かせ、
「矢張り此の土地に居る事としましょうか。」
清子は力なさそうに
「ハイ、そうしましょう。」
友「でも貴女は、時々寝言に、人の居ない所に行きたい。行きたいなどと仰(おっしゃ)りますが。」
清「エ、エ、私が寝言を、その外に何のような事を言いました。」
友「ハイ、その外には、何も仰りませんが、全く此の土地がお厭(いや)なら、何処へでも参りましょう。」
清「イイエ、貴女が傍に居て下されば、此の土地でも結構です。」
従順なる言葉を聞き、友子は却(かえ)って気遣わしさを増し、
「貴女がその様に、私へ慣れ親しんで下さるのは、何よりも有難いと思いますけれど、寧(いっそ)、今迄の通り何事も我儘(わがまま)に、強情をお張り通して下さる方が、私は却(かえ)って安心に思います。」
清子は泣いて、
「友子さん、勘弁して下さい。今になって貴女の親切が分かりました。絶えず貴女が、後見の様に付き纏って下さらなければ、私は独りでは何事も出来ません。」
友「ナニ、貴女はその様な心細い事を、言う物では有りません。貴女の年頃で、強情や我儘などは当たり前です。併しそれは兎に角、当分此の土地に留まりましょうか。」
清「ハイ、留まりましょう。その代わり、どうか都の新聞を毎日私へお見せ下さい。此の様な寂しい土地ですので、新聞を読む外に、少しも気が紛れることがありません。」
新聞を、手にさえもしなかった今迄の有様とは、是も非常な相違である。
新聞を読んで、我が所天(おっと)野下三郎が、如何になり行くかを見届けなければ、一刻も我が身に安心は無い。彼は捕らわれて行く際でも、草花を取り、之を我が妻に与えよ、と言ったほどなので、若しや法廷でも、秘密婚礼の事を洩らしはしないか。
若し我が名が、彼と共に新聞に載せられる事が有ったら、何としよう。思えば思うほど、恐ろしさは限り無く、今更何の工夫も無いので、愈々(いよいよ)その時には、唯だ自殺するしかない。
死して此の世を去る外に、何と言って、身の恥を隠すべき道があろうかと、宛(あたか)も自殺の日取りを知ろうとする様な心で、毎日何より先に新聞を開いて読むと、偽名野下(のげ)、本名下林三郎の事は、必ず幾行か紙面に有ったが、幸いに未だ我が名は見ない。
そのうちに、公判の日は6月の十日であることが分かったので、我が自殺すべき日は必ず翌十一日の朝、新聞を読むと同時に行うなるべきなどと思い、一日一日寿命の縮む思いして過ごすうち、愈々十日とはなった。
今頃は彼三郎、如何なる事を法官の前に述べつつあるのだろう。最早や新聞記者が、驚くべき白状などと言い、特派オーストリア公使河畑良年の一女などと、我が名を紙に移す頃ではないかなどと、絶え間なき恐ろしさに一日暮らし、
夜に入って後も、眠りを催さず、僅かに眠れば恐ろしい夢に魘(うな)され、宛(あたか)も生涯の苦しみを、唯だ此の一夜に引き集めた思いで、愈々(いよいよ)十一日に入ったが、朝の九時少し過ぎる頃に、
「今日の新聞には、多分、野下三郎の公判筆記が出るでしょう。」
と言いながら、畳んだままの新聞を持って入って来たのは、友子である。
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