鉄仮面10
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第四回
小紳士ナアロー、男爵 バロン・ダ・アイスネー、巨魁キツヘンブッチ
敵はただ罵(ののし)ってモーリスを怒らせ、疲れさす計略だが、今はその計略にも気が付かづ、ますます焦って怒り狂うモーリスの危険なことは、何とも言いようがない。前の方からこれらの様子を見ているバンダ嬢の心の内は、地獄で責められているようで、今は恐ろしさを忘れて、台の下からくぐり出て、腰の剣に細い手をかけ、抜くことも出来ないまま立って、右に左にうろうろしていたが、ついにたまりかねて、唇に手を当てて、「静かに」と合図を送って、自分は又、台の下にしゃがみ込んだ。
この様子を見て、モーリスも何か気づくことがあったのか、火花のように振っていた剣を持ち代え下から敵の胸あたりに狙いをつけたまま、熱い息を吹きながら、ジリッジリッと敵の横に回って行くと、敵も防ぎながら回り始め、しばらくすると、全くその位置が変わって、敵は小紳士に背を向け、モーリスはバンダに背を向けた。
こんなふうに、にらみ合ううちに、モーリスも少しはしずまり勇気も回復して来るだろうと、バンダが喜ぶのに引き替え、敵はこのままではいかんと思ったか、今度は最もモーリスが気に掛かる言葉を選んで、「これ、若造、お前があれほどオランダ新聞に気をもんだのは、何の記事が読みたかったのだ。エ、若造、どうせ冥土の土産だから俺が覚えているだけ、読んで聞かそう。」
これらの重大な話にモーリスが、再び心を動かそうとするのを見て、敵はその効き目を見て、「第一記事にはルイ十四世が観兵式を行うと書いてあった。これか、これか、おや、平気で居るところを見るとこれではないな。では、第二の記事か。そうそう、第二には警視総監ルーボアが新たに陸軍大臣に兼任せられて、評判が良いと書いてある。」
第一の記事、第二の記事に何が書いてあろうがそれらは知ったことではない。知りたいのは、第三の記事に書いてある事だ。もし、第三の記事に「ローマ」の三文字が書いて有れば、我らが同士はこれを大将軍の「進め」と言う号令と見て、今夜の内に、フランスの国境を目指して進まなければならない事になっている。
このような馬鹿者と関わり合っている場合ではないのにと、モーリスは心のうちでじれったく思いながら、アアこの馬鹿者め、第三の記事は何と読むだろうか。新聞は奪われてもそれさえ聞けば、私の目的は果たせると、剣のつかに汗を握りながら、息を殺して待っている。その顔色を見て取ってか、「フム、第二の記事にも用はないのか。ハテナ、第三の記事には何とかあった。そうそう、パリへ外国の急使が来たとあった。その急使はローマからさ。」
ローマからさの一言は、モーリスの胸に釘を打つように響いた。いよいよ号令が出たのか。いよいよ長い間の本望を果たす時が来たのか。いよいよ我らが同士が、すでにこの合図に応じて、それぞれ出発したのか。私一人が遅れては皆に何と言って弁解ができよう。このような思いは瞬く暇もなく、一度に心に広がったので、モーリスはほとんど無意識に、「ヤ、ヤ、それは」と叫んでしまったが、これこそ運の尽きだった。
叫ぶ拍子に、身の備えに髪の毛ほどの隙が出て、先ほどから、ただこの隙ができるのを待っていた恐るべきフランベルジーンは、モーリスの第四肋骨と第五肋骨の間をズブリと突き通した。急所の深手にどうして耐えられるだろうか。口から鼻から血をいっぱい吐きながら仰向けに倒れるのを、後ろにいたバンダ嬢が駆け寄って、ようやくの思いで抱き留めたが、一度恐ろしさが過ぎ去ると女はかえって男より強くなる。
バンダ嬢はこみ上げてくる涙を我慢して、一滴もこぼさず、怒りに満ちた目を上げて、千年の後までも憎いあの顔を、目に焼き付けて置こうとするように、荒武者の顔をにらみつけた。それから二度と敵の方を見向きもせずに、モーリスの傷から出る血を、まるで自分の体から出る血のように、手に染めて介抱したが、もう恐らく手遅れだと思われる。
ああ、伯爵アルモイス・モーリス、世にも頼もしい大志を抱いていたのに、二十七,八年、生きたのを最後に、どことも分からない所で、命を落とさなくてはならないとは、その恨みを何時晴らすことが出来るのだろう。勝ち誇る荒武者は、惜しむべきモーリスと可哀想なバンダ嬢には見向きもせずに、ハンカチを取り出し剣の血をぬぐいさり、「あっぱれな手柄ものだ。ナア、このフランベルジーンは。エー、どのような敵に会っても、負けたことがない。これで今日の役目は済みだ。今夜は鞘(さや)の布団に入れて暖かく寝かしてやる。」と気持ちよさそうに笑う憎らしさ。
この時、連れの小紳士がテーブルから降りて来て、荒武者の手を取って、「いつまでこのような生臭い家にいてもしょうがない。さあ、行こう。」と促して、一緒にここを出たが、外は雪がもう3cm以上も積もって一面の銀世界に。白い鼻息も目立たず無言のままでホテル、ド・ビルの方に向かって、およそ300mぐらい進んだ頃、荒武者は自分の手柄を自慢するように、
「アア、ナアロー君、今夜の相手は近頃には珍しく腕っ節の強い奴だったよ。さすがの僕も一時はずいぶん危なかった。」と話しかけると、ナアローと呼ばれるその小紳士は別に感心する様子もなく、「ヘー、エー、男爵アイスネー君、君は大事な探偵事件をルーボアから」と言いかけて後ろを振り返り、誰もいないのを確かめてから話を続けた。
「警視総監ルーボアから命じられて、僕の前後にこの土地に出張しているんじゃないか。居酒屋で決闘などして、それで役目が務まると思っているのか。」男爵アイスネーと呼ばれる荒男も、また辺りを見回してから、「ナニ、大丈夫だよ、僕は今度の陰謀の首謀者キツヘンブッチを探偵及び捕まえに来たんだし、君は今度の陰謀を遊説して、諸国を回っているあの有名な貴婦人を暗殺せよ、という命令を受けて来たんじゃないか。」
「貴婦人どころか皇族だよ、前の皇后陛下だよ。今夜のうちに立派に目的を遂げてみせる。」
「前の皇后陛下でも、ルイ王に捨てられれば、今は貴婦人よ。そんな事はさておき、君の仕事と僕の仕事は全く別々に言いつかったのだから、僕が居酒屋で決闘しようと、どこで何をしようと僕の勝手だ。君からあれこれ難癖を付けられる筋はないよ。」
「それはそうでも、詰まらぬ者を相手にして」と言いかけると、男爵アイスネーは高い背をなお10cmも伸ばして、「オヤオヤ、君は今夜の男を名もない男と思っているのか。」
「サア、あの剣の手練で見れば、まんざら名もない相手ではないだろうが、とにかく首謀者のキツヘンブッチよりほかの者に目を付けるのは、君の役目ではないと言うことさ。」
「君にも似合わない目の低いことを言う。今の相手がその首謀者キツヘンブッチなんだよ。」
「ヤ、ヤ、何だと、」
「驚くことはないよ。パリーでは、キツヘンブッチと言われ、ここではアルモイス・モーリスと言われているのが、今殺したあいつだよ。これで、謀反も陰謀も消えてしまったというわけ。
第4回終わり
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