巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第二十六回

 話替わり、大尉有浦は花房屋お蓮に向ひ、種々思う事を打ち語り、綾部安道よりは、蘭樽伯こそお仙の為に好ましい婿夫なので、綾部が心持を悪くして、此の家を立ち去ったのを幸い、綾部にもお仙にも縁組の事を思い切らせ、その上で蘭樽伯に交わりを結ぶのが好いと相談し、大方整ったので、別れを告げて立ち出でようとする折りしも、初めてお仙の家出したのに気付いた。

 お仙は有浦とお蓮が余念も無く語らって居るうち、私(ひそ)かに家を出て綾部の宿に尋ねて行ったことは、読者の既に知る所である。有浦も直ちに斯(そ)うと覚ったので、今お仙と綾部の仲を割こうと思う矢先に、二人を逢わせては一大事、直ぐ行って連れ帰ろうと、又も馬車に打ち乗って綾部の宿を指して急いだ。

 頓(やが)て其の宿に着き、梯子段を上ろうとする丁度その時、上から早足に下りて来る者があった。見れば是なんお仙嬢である。顔に無量の怒りを帯び、涼しき目に涙を浮かべ、傍(わき)目も振らない其の様子は、唯事では無いと、有浦は早くも引き留め、
 「コレお仙や、お前は全体何うしたのだ。」

 お仙は悔しそうに、
 「綾部に騙されました。綾部は外に女が有るのに、夫(それ)を隠して、今まで私を騙して居ました。アの様な不実者とは今が今まで。」
と半分云って、四辺(あたり)も憚(はば)からず泣き出すのを、有浦は推し宥(なだ)め、
 「イヤ、夫(それ)は結局幸いだ。お前の母御も、最(も)う綾部の事は思い切らせ、善い婿夫を取らせる積りで居るのだから。爾(そう)だ、綾部の事は是切りで思い切るが好い。決して最う二度と綾部に逢はない様に。ナニ泣くことは無い、思い切っー。」

 (仙)ハイ最(も)う思い切りました。二度と彼の様な人には、顔を逢はせません。
と制(こら)え兼ねて口走るのを、有浦は更に様々に言ひ賺(すか)し、終に我が馬車に推し乗せて、一人で母お蓮の許へ帰らせた。此の時三階の上の一室(ひとま)には、綾部安道と彼の怪しい女との悶着が、今猶(な)お最中であった。綾部は此の女の為に、又と無いお仙に愛想を尽かされたと思うので、何うして堪忍が出来るだろう。平生の柔和に引き換えて言葉さえも荒々しく、

 「コレ女、手前は全体何者だ。失敬にも俺の居間へ押し入ってサ、何しに来た、白状せよー。白状」
 女も此の荒い言葉には敵し兼ね、今は非常に不審の顔で、
 「私は有浦さんの案内状を受けて来たのです。何も貴方から其様に叱られる道理は有りません。来たのが悪けりゃ、有浦さんをお叱りなさい。」
 (綾)嘘だ、有浦が手前を茲(ここ)に寄越す筈が無い。
 (女)ダッて貴方、私が今まで貴方と親しいと云うのでは無し。此の宿に綾部安道と云う、此の様な腹立ちっぽい方が居ると云う事を、知って居る筈は無し。有浦さんから招かれなきゃ、私しが無理に茲(ここ)へ来る筈が有りません。

 (綾)手前は有浦の何者だ。
 (女)ハイ、有浦さんには此の頃始めてお目に掛って、酷(ひど)く御恩に為った、丸池お瀧と云う者です。
 (綾)何だか知らないが、手前の様な奴に用事は無い、早く出て行け。
と言いながら、遠慮も無く其の手を掴み、室(へや)の外へ突き飛ばそうとする。

 出会い頭に入って来た有浦、三人顔を見合わせて、
 (有)オヤ、
 (お瀧)オヤ
 (綾)オヤー
 解け無い不審に綾部は先ず、
 「有浦君、君は余りじゃアないか。訳も言はずに、突然此の様な女を寄越すとはー。」

 (有)俺は何も寄越しやア仕無いがー。
と聞いて、お瀧は夢中になり、
 「アレ、彼(あ)んな事を仰るー。貴方今私に馬車を寄越し、此の馬車に乗って直ぐに春田町の是々した所へ来いと、手紙をお寄越しなさった癖に。」
 (有)是は怪しからん。
 (瀧)貴方こそ怪しかりません。其の証拠には貴方から寄越した其の馬車が未だ外に待って居ます。ご覧なさい。

 三人均しく三階の窓から首を出し、其の下を俯し望むと、馬車らしき者は一輌も無い。お瀧は殆ど泣き出しそうな顔で、
 「アレ、先(ま)ア、何うしたら好いだろう。何時の間にか馬車は無く成りました。」
 (有)馬車は無くなっても、俺から遣ったと云う手紙が有ろう。有るなら見せろ。
 此の言葉にお瀧はホッと呼吸(いき)をつき、
 「アア忘れて居ました。其の手紙は茲(ここ)に有ります。サ是が何よりの証拠です。」
と云いながら差し出すのを、有浦と綾部は首を並べて読み下すと、

 「至急申し上げます。唯今から春田町の宿屋で、僕の友人綾部安道と云う者が、僕に夕飯を馳走するとの事なので、お前様も至急御出で下さい。知己(ちかずき)と為って置けば、後々屹度(きっと)お前様の為にも成る事でしょう。尤もこの人は、至って人交(ひとづき)が悪いので、入り口からお前様を突き返そうとするかも知れませんが、心の底は至極柔らかな人なので、強いて無理にも其の部屋の中へ御入りなさるって下さい。是には少々狂言の有ることなので、成る可く馴れ馴れしく話し掛け、無遠慮に成さる方が宜(よろ)しいかと思います。

 左すれば、綾部は、お前様の気象を愛し、頓(やが)て存外に打ち解けること請け合いです。何分にも無理に入って慣れなれしくすることが肝腎なので、お前さまの手際で、呉々(くれぐれ)も宜(よろ)しくお頼み申します。僕も直ぐに後から参りますので、又此の仔細は自然と分かる事になりますから、直ぐ様此の馬車に御乗りなされば、道筋は御者へ申して置きましたので、御心配には及びません。以上至急お知らせ申し上げます。月日、丸池お瀧様へ。大尉有浦より」

と有り、読み終わって、二人は一様に事の意味を悟り、
 (有)又曲者が。
 (綾)又曲者がー。
と一様に叫んだ。アア此の手紙は、曲者が綾部とお仙の間を割く為に、丸池お瀧の粗忽なのを幸いに、之を欺(あざむ)き寄せようとして、有浦の名を騙(かた)ったものだ。又二人の仲を割こうとする曲者の計略は、偶然にも有浦の思ふ事と符号したのは奇妙と云うほかは無い。

 斯(こ)うと全く分かったので、有浦は言葉を作ってお瀧を慰め、幾千(いくばく)かの金を与えて、帰したが、それに就けても恐ろしいのは、曲者の力である。彼何(いず)れの所に在るのかは知らないが、一々に人々の振る舞いを見張って居て、有浦が今朝ほど、丸池お瀧に恩を施せた事から、お仙が綾部の許(もと)へ、尋ねて来る事までも、詳しく知って居たことは疑いなく、其の手際は実に人間業とは思われ無い。

 是で有浦は、綾部に向い傍々(かたがた)、お仙を思い切るように説得(ときすす)め、お仙には既に婿夫とすべき人がある旨を告げて、帰って行った。其の後で、綾部は独り思案の末、
 「実に失敬な曲者だー。此の儘(まま)お仙を思ひ切るとも、曲者は許さない。私が影身になって保護して遣らなければ、お仙は何の様な目に逢ふかも知れない。可愛相にー。併しお仙は、此の俺を不実者と思って居るだろう。最も(う)一度逢って、今日の事を言い訳しなければ。爾(そう)だ、未だ思い切られ無い。アア曲者ー、お仙がー、可哀相ー。」
と取り留めも無く呟(つぶや)いて居た。

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