巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.13

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

八十八、望遠鏡

 翌朝目が覚めるまでに安雄は様々な夢を見た。その夢たるや、何時も見る夢とは違い、眠る前のことから引続いて自分がこの巌窟の中の宮殿に逗留し、非常に歓待を受け、非常な幸福を得た上に、何一つ意のままにならない事は無い、世界の大人物にまで出世した有様であって、そうしてその感じが少しも夢らしくなく、全く事実のように感じた。東洋の話にある「盧生の夢」とは多分このような夢だろう。粟の飯を炊く間に、五十年の自分の人生の様子をありありと夢で見て、夢が醒めた後、不思議がったというのだから、全く相い似た夢である。

 醒めたのは朝の何時頃であるか、自分には分らないが、辺りがうす暗い。別に日も差していない。矢張り自分が宮殿の主であるような積もりで呼び鈴を鳴らそうと手を差し伸べてみたが、その様な物は無い。ハテナと思って、探るうちに、段々と正気に返り、何だか今迄のことが、何処からと言う境目はわからないけれど、夢であったらしく感じた。

 先ず起き直って自分の寝床を見た。多分は尽善尽美とも言うような柔らかなベッドであるべきなのに、そうでは無い。干した枯れ草を沢山に積んで、その上にフワリと寝ているのだ。枯れ草に天然の芳しい匂いが立っていて、それがあたかも部屋中に香水を吹いてあるような感じを与えていた。全く狐に化かされた人が初めて我に帰ったのと同じことである。

 それでも未だ、この醒めたのがかえって真の夢ではないかと、このように疑って立ち上がった。そうして、部屋中を歩き回ってみると、部屋は巌の穴である。穴ではあるが、今言う枯れ草のほかに敷物も無ければ、壁も無い。壁は天然の巌のままで、昨夜練りこんであった金銀珠玉はどこに行った。贅沢な装飾、贅沢な器具、一切が影も形も無い。余り怪しいから、安雄はあたかも拍子抜けがしたように笑った。

 それから更に穴の四方を調べてみると、その一方が入り口、即ち出口、のようになっている。ここを歩き出て、外を見ると海岸である。海には自分が乗って来た船があって、その左右には白い女波、男波が押し寄せては又返している。陸には自分の船の船長や水夫が、確かに見覚えのある、その顔を集めて、朝飯を食べている。

 全く狐に化かされたらしい。けれど、それにしても納得が行かないところがある。ハテな、どこまでが本当であって、どこからが夢であろうと、後ろへ後ろへ考え直して見ると、ハッシシスという霊草の液を飲んだところまでが本当のことで、その後が夢だろう。

 あの霊液と言うのが、前から聞いていたアラビアのハッシススではなく、その実アヘンのような麻薬の類ではなかっただろうか。なんでも脳髄に異常な働きを生じる力が有るには違い無い。或いは体までその毒を受けているかもしれないと思い、体操をするように、先ず手足を動かしてみると、これは不思議で、いつもより全ての機関がさわやかで、確かに健康を増したような気がする。力も何だか加わった心持だ。

 さては、毒薬ではなかったのだと、安心して外に出てみると、朝日の光も、空気の鮮やかさも格別に心持が良い。アア、全く霊液であった。アノ様なものを、何時も持薬のように飲んでいれば、真にどの様な大事業でも出来る事になるだろう。とこのようにさえ感じた。

 先ず船頭たちの居るところに歩いて行くと、彼らは安雄の顔を見て笑っている。そうして言った。お客様、今朝ほど巌窟の旦那が、貴方がお目覚めになったら、どうかよろしく言ってくれと私共にお言付けでした。」
 安雄;「エ、巌窟の旦那とは」
 船長;「船乗り新八と名乗る方です。昨夜貴方を饗応した。」

 安雄;「オオ、船乗り新八などと、実際にそう名乗る人間が居たのには違いないのか。」
 船長;「ハイ、それでその旦那がおっしゃりますには、今朝、目覚めるまで待っているべきはずであったが、急ぎの用事で、やむを得ずスペインの方に行くので、悪しからず思し召し下さるように、貴方に申し入れてくれと、丁寧にーーー」

 安雄;「それは残念、もう少し早く目が覚めて醒めると良かったのに。」悔いても今は及ばない。
「だが、船長、その人はどっちに去った。」と安雄は追っかけて聞いた。
 船長;「どっちへ、アレ、あすこにまだその船が見えています。帆を張り上げているアノ遊船を御覧なさい。」と言って、沖の方を指し示した。成る程、ただの船とは趣が異なって見える一艘が、微風に帆を張って進んでいる。

 「エ、アノ船に巌窟の主人、船乗り新八が乗っているのか。今ならばまだ、望遠鏡を見れば分る。早く俺の望遠鏡を取ってくれ。」勿論銃猟のために来たのだから、望遠鏡は肩にかけていた。それを船の中においてある。船長がかしこまって船に行き、その望遠鏡を取ってくるのを待ちかねるほどに思い、受け取って早速あの船を眺めると、これは不思議、確かに夕べの我をもてなした、巌窟の主人が、着物もまだ昨日のままで、船の艫(とも)《船尾》の方に立ち、これもこっちの方を見る積もりか、我と同じく望遠鏡を手に持って、こっちへ正面に向いているのだ。あの霊液を飲んだところまでは、夢ではなかったのだ。

第八十八終わり
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