onnaayameⅡ
第十九作 花あやめ(転載禁止)
since 2022 .9.2
原作 『母の罪』 バアサ・エム・クレイ女史 作
1902年(明治35年)6月17日から10月5日まで新聞「萬朝報」に「花あやめ」の題で連載された。
『椿説 花あやめ』は2022年7月4日より連載開始し、8月30日を以て完結。
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花あやめ
連載後期
今回の「花あやめ」は連載をめざして、2022年3月13日ころから準備を始めた。話の内容は、イギリスの蔵戸子爵の息子太郎次郎がオックスフォード大学を卒業し、社会に出る前に、世界の世情を観察する為に世界旅行をしていて、旅行が終わりアメリカから帰る途中で海難事故に会い、溺死したと見られるということだった。
第40話くらいまで準備してから連載を始める積りで居たが、第23話辺りを準備して居る時に、北海道の知床岬遊覧をしていた船が沈没したとの事故が報道された。
丁度この「花あやめ」の話が、突然海難事故で二人の後継者を失った蔵戸子爵が絶望し、生きる気力を無くして、病気になってしまうが、何とか歴史ある蔵戸子爵家の存続を図る為、死ぬ前に相続人を決めようと、気力を振り絞っている辺りだった。
突然に事故などで、身内の誰かを失った喪失感、悔しさは、並大抵では無いと思い遣られる。
此の「花あやめ」の話は、何とか蔵戸子爵が気を取り直せる結末で終わったが、知床遊覧船の事故は4か月以上を経た、9月2日現在で、未だ半数近くの人の行方が判明して居ないと言う事だ。
篠原常一郎氏のユーチューブでの話によると、遊覧船の社長の誠意ある対応が望まれる状況だとのことだ。
『椿説 花あやめ』のあらすじ 1
第1回~第10回
イギリスの貴族、蔵戸(くらど)子爵は傾いて居た子爵家を30年かけて立て直し、莫大な財産を築いた。蔵戸子爵には太郎、次郎の二人の息子が居り、オックスフォード大学を卒業して、実社会に出る前に、世界を見聞する為に世界旅行に出かけて居る。
蔵戸子爵はこの二人の息子が世に出て、貴族社会で活躍し、昔の様に蔵戸家の存在を世に知らしめることを期待している。
太郎次郎が乗った「プリンス号」がアメリカのニューヨークを出港したとの知らせがあり、今日にもイギリスに帰って来るかと待っている。
そんな所にタイムズがプリンス号の遭難沈没を知らせた。
二人の息子を同時に失った蔵戸子爵は気落ちして、抜け殻の様になる。
弁護士に蔵戸家の相続人を決めるように諭され、蔵戸子爵は蔵戸家を相続する類縁者を弁護士に調べさせると、最も近い類縁者に梅子と松子という優劣の付けがたい娘が居る事が分かった。
『椿説 花あやめ』のあらすじ 2
第11回~第20回
期待して居た二人の息子を、乗って居た船の沈没で同時に失った蔵戸子爵は、気落ちして抜け殻の様になる。
此のままでは蔵戸家が断絶してしまうので、相続人を選定しなければならないと弁護士に促され、蔵戸子爵は弁護士が調べた、4代前に蔵戸家から分かれた遠縁の相続候補の娘二人の品定めに出かけた。
&size(18){一人はイギリスの南海岸の町ノスヒルドに住む画家の17歳の娘春川梅子。
もう一人はロンドンに未亡人となった母親と暮らす草村松子という18歳の娘だ。};
二人の娘に逢った蔵戸子爵は、それぞれの娘の持ち味は異なるが、優劣が付けられない良さが有り、何方を相続人にするか決められず、二人の娘を子爵の屋敷に招いて逗留させ、弁護士と子爵の姉にも逢わせて、三人で選定する事にする。
『椿説 花あやめ』のあらすじ 3
第21回~第48回
蔵戸家に到着した、梅子、松子は、蔵戸子爵、葉井田夫人、瓜首弁護士によって、蔵戸家の相続人には、何方が適任かあらゆる方向から注意深く観察される事に成った。
瓜首弁護士は長年の弁護士という仕事で培った鑑識眼が有るので、私に係れば直ぐに相続人にどちらが適任か判断が附くと、豪語して居たが、梅子、松子の実物に逢って見ると、此方の方面は梅子が優れて居るが、あちらの方面は松子が優れて居ると云う具合で、蔵戸子爵が選べなかったように、梅子、松子の優劣は中々付けられなかった。
『椿説 花あやめ』のあらすじ 4
第49回~第57回
蔵戸家の二人の息子太郎、次郎が乗船していたプリンス号が沈没し、生存者は居ないと思われていたが、沈没して数か月経った、翌年の春、タイムズ紙に沈没したプリンス号に二名の生存者が居たとの報が掲載された。
此の報を見た松子の母の草村夫人はこのタイムズの記事が蔵戸子爵の目に触れるのを恐れ、タイムズを密かに部屋に持ち帰り、暖炉で燃やしてしまった。
一方ロンドンに帰って居た瓜首弁護士の事務所に、病気に罹(かかっ)てやせ細ったと思われる、独りの青年が訪れた。蔵戸家のプリンス号の沈没で溺死したと思われた次郎であった。
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onnaayame
雪姫 2023/05/29 涙香生訳
(第一回) 難題
「雪姫」とは曾てオーストリアに派遣せられた外交官河畑良年の一女清子の綽名(あだな)である。本名の清子の名では知らない人も多いが、
「雪姫」と言えば英国第一の美人として、噂に聞いた事の無い人は居ない。何の為の綽名であろうか。白い顔に少しも血の気が無く、深い秘密を隠している様に見える為か、心が冷ややかで、情の無い人かと疑われる為か、将又他に深い仔細が有る為か、読み終わる迄には自ずから知る所となる事でしょう。
英国某の州に河畑郷の河畑家と言って由緒正しい旧家が有る。此の家の一間に今や一通の手紙を開き、幾度か読み直して思案して居るのは主人良年である。};
「アア俺も今年は四十七、娘清子は十六になった。四、五年の内には然るべき所夫(夫)を持つ事に成ろうが、先年妻に分かれて以来、物入りや失敗続きで、婚礼の支度も此の向きでは思う様にしては遣れない。何とかして家道を再興し、せめては現在の財産だけでも減らさない様にしなければならないと、先頃から奔走した甲斐が有って、此の通りの通知を得た。特使としてオーストリアへ派遣せられるのは有難い。特使だけに莫大な手当ても有り、滞留二年の間には、交際費や賞金で、まず後々の困難は免れると言う算段は立つが、併し娘を承知させるのが困難だて。近々オーストリアへ行くかも知れない事だけは、承知させて有るけれど、肝腎の一条は未だだ・・・・。」
と言い掛け、外交官にも始末に負えない一難題が横たわっているかの様に、首(こうべ)悩まし、
「イヤ是も全く娘の為だから仕方がない。何しろ母が亡くなって以来、俺の手一つで、大事に大事に育てた丈け、もう自分で此の家の女王の積もりで居て、自分の気に入らないことは、俺の言葉さえ受け入れないから困るよ。尤も昔から人を指図しても、人の指図は受けないと言うのが、此の家の代々の気風で、女ながらもアノ通り毅然とした気質を持って居るのは感心だ。アノ気質でなければ、到底人の上に立って、尊敬されて行く事は出来ない。けれどもだ、フムけれどもだ。少しは気を練って、素直に人に従うと言う躾も付けて遣らなければ、第一所夫を持った時に自分が辛い。学問の教育は一通り終わったから、是からは躾と言う実地教育、是が何より大切だ。何しても、俺が不在の二年の間に、十分仕込んで遣らなければならない。アノ通り今まで一人で巾を利かせているから、俺の言葉を聞き怒るだろうが、仕方がない。」
漸くに思い定め、鈴を押し鳴らして、入って来た召使に、
「娘を之へ呼べ。」
と命ずるに、やや有って入って来たのは、十六歳よりも十七歳に近く見える娘清子である。身の作りは行き届いた方では無いが、顔の美しさは驚かされる許かりである。今両三年も経てば、どれほどの美人に成ることか分からない。父は穏やかに、
「実は先達っても話して置いた、オーストリー行の件だが、此の家が昔から、立派な外交官を出したのと、此の父が先年外交官を勤めた経歴で、愈々拝命することになった。就いては留守中の家の取り締まりや、その他色々和女(そなた)に話す事が有る。が先ず腰をお掛け、其の様に立って居ては終わりまで話が出来ない。」
留守中の家の取り締まりは聞かなくても知って居ますと言う様な面持ちで、
「イイエ、腰を卸して好い時には自分で卸します。」
と言うのは、いかにも此の家の女王かと思われる振る舞いである。
父「事に依ると、意外に早く出発しなければ成らないかも知れないから、ここで残らず言って置くが、成るほど和女に留守の取り締まりは十分出来るにしても、十六の娘に留守を任せたと世間に聞こえては、余り此の父が不行き届きの様に思われるから、其処を好く考えて貰わなければならい。」
優しく言われて腰を卸し、
「世間の人が何と言おうと、雇人も大勢居ますから、私一人で沢山ですよ。」
と言うのは子供心に、独り一家を治めるのを非常に名誉ある事と思い、我が身の貫目(重さ)が加わる様に感じる為に違いない。
父「イヤ此の父が家に居れば、この様に和女一人で沢山だが、父が留守となれば、第一雇人も言うことを聞かない。」
清「イイエ、其の様な雇人は有りません。若し有れば取り替えます。何時も阿父(おとっ)さんの留守中は、皆が却って好く私の言い付けを守りますよ。」
父「イヤいつもの留守と今度の留守とは違う。」
清「では何う為さろうと仰るのです。」
父「然るべき年頃の婦人を、和女の後見人の様にして、此の家へ置こうと思う。」
清子は後見人との言葉を非常に賤しむ様に、
「其の様な者は要りません。無い方が余っぽど好う御座います。」
いつもより一層我が意を張ろうとするので、父良年は聊か気を損じた様子で、
「イヤ其の様に一々異存を唱えては話も出来ない。」
と荒く言えば、流石に悪かったと心付き、直ちに折れて非常に愛らしく父の首に縋り付き、
「御免なさい。其れだって阿父(おとっ)さんが、後見人などと言うので、余り名前が恐ろしいでは有りませんか。」
と言って髭髯深い頬の辺りに接吻するは、全く罪も無い少女である。父も忽ち打ち解けて、
「成るほど後見人と言ったのは、父が悪かった。後見人では無い。阿母(おっか)さんだよ。
清「エ、エ、阿母(おっか)さん・・・・とは。」
父「実はな、父ももう長年の独身に飽きたから、もう一度婚礼して、和女の為に阿母さん同様の婦人を、迎え様と思って。丁度似合わしい貴婦人が有って、此の頃縁談が出来たから。」
半分聞いて清子は色を失ったが、余りの意外に言葉も出ず、震える唇を噛み締めて、眼の底に涙を浮かべた。父は気にも留めない様子で、
「全くの所は、父が其の貴婦人を見染めたのさ。貴婦人も又父に惚れたのさ。其れだから方がた以て。」
と言葉はいまだ終わらないのに、清子は今までの我儘な調子とは全く違い、此の気質で、これほどまでも静かな言葉が、吐かれるかと怪しまれるほど、沈痛な声音となり、
「阿父さん、其れは継母では有りませんか。後見人よりもっと酷い・・・。」
と言い掛けて、ハラハラと涙を落としたのは、深く心に情け無く思う所が有ると見える。
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雪姫 2023/05/29 涙香生訳
(第一回) 難題
「雪姫」とは曾てオーストリアに派遣せられた外交官河畑良年の一女清子の綽名(あだな)である。本名の清子の名では
知らない人も多いが、「雪姫」と言えば英国第一の美人して、噂に聞いた事の無い人は居ない。何の為の綽名であろうか。白い顔に少しも血の気が無く、深い秘密を隠している様に見える為か、心が冷ややかで情の無い人かと疑われる為か、将又他に深い仔細が有る為か、読み終わる迄には自ずから知る所となる事でしょう。
英国某の州に河畑郷の河畑家と言って由緒正しい旧家が有る。此の家の一間に今や一通の手紙を開き、幾度か読み直して思案して居るのは主人良年である。
「アア俺も今年は四十七、娘清子は十六になった。四、五年の内には然るべき所夫(夫)を持つ事に成ろうが、先年妻に分かれて以来、物入りや失敗続きで、婚礼の支度も此の向きでは思う様にしては遣れない。何とかして家道を再興し、せめては現在の財産だけでも減らさない様にしなければならないと、先頃から奔走した甲斐が有って、此の通りの通知を得た。特使としてオーストリアへ派遣せられるは有難い。特使だけに莫大な手当ても有り、滞留二年の間には、交際費や賞金で、まず後々の困難は逃れる言う算段は立つが、併し娘を承知させるのが困難だて。近々オーストリアへ行くかも知れない事だけは承知させて有るけれど、肝腎の一条は未だだ・・・・。」
と言い掛け、外交官にも始末に負えない一難題の横たわれる如く首(こうべ)悩まし、
「イヤ是も全く娘の為だから仕方がない。何しろ母の亡くなて以来、俺の手一つでで、大事にに大事に育てた丈け、もう自分で此の家の女王の積もりで居て、自分の気に入らぬことは俺の言葉さえ受け入れないから困るよ。尤も昔から人を指図しても、人の指図は受けないと言うのが此の家の代々の気風で、女ながらもアノ通り毅然とした気質を持って居るのは感心だ。アノ気質ででなければ到底人の上に立って、尊敬せられて行く事は出来ない。けれどもだ、フムけれどもだ。少しは気を練って素直に人に従うと言う躾も付けて遣らなければ、、第一所夫を持った時に自分が辛い。学問の教育は一通り終わったから、是からは躾と言う実地教育、是が何より大切だ。何でも俺が不在の二年の間に十分仕込んで遣らなければならない。アノ通り今まで一人で巾を利かせているから、俺の言葉を聞き怒るだろyが、仕方がない。」
漸くに思い定め、鈴を押し鳴らして、入り来た召使に、
「娘を之へ呼べ。」
と命ずるに、やや有って入り来たのは、十六歳よりも十七歳に近く見える娘清子である。身の作りは行き届いた方では無いが、顔の美しさは驚かされる許かりである。今両三年も経てば如何ほどの美人に成ることか分からない。父は穏やかに、
「実は先達っても話して置いたオーストリー行の件だが、此の家が昔から立派なな外交官を出したのと此の父が先年外交官を勤めた経歴で、愈々拝命することになった。就いては留守中の家のの取り締まりやその他色々和女に話す事が有る。が先ず腰をお掛け、其の様に立って居ては終わりまで話が出来ない。」
留守中の家の取り締まりは聞かなくても知って居ますと言う様な面持ちで、
「イイエ、腰を卸して好い時には自分で卸します。」
と言うのはいかにも此の家の女王かと思われる振る舞いである。
父「事に依ると意外に早く出発しなければ成らないかも知れないから、茲で残らず言って置くが、成るほど和女に留守の取り締まりは十分出来も、十六の娘に留守を任せたと世間に聞こえては余り此の父が不行き届きの様に思われるから、其処を好く考えて貰わなければならい。」
優しく言われて腰を卸し、
「世間の人が何と言おうと、雇人も大勢居ますから、私一人で沢山ですよ。」
と言うのは子供心に独り一家を治めるのを非常に名誉ある事と思い、我が身の貫目の加わる様に感じる為に違いない。
父「イヤ此の父が家に居ればこう和女一人で沢山だが、父が留守となれば第一雇人ンも言うことを聞かない。」
清「イイエ、其の様な雇人は有りません。若し有れば取り替えます。毎も阿父(おとっさん)の留守中は、皆が却って好く私の言い付けを守りますよ。」
父「イヤ毎もの留守と今度の留守とは違う。」
清「では何う為さろうと仰るのです。」
父「然るべき年頃の婦人を和女の後見人の様にして、此の家へ置こうと思う。」
清子は後見人との言葉を痛く賤しむ様に、
「其の様な者は要りません。無い方が余っぽど好う御座います。」
毎もより一入我が意を張ろうとするので、父良年は聊か気を損じた様子で、
「イヤ其の様に一々異存を唱えては話も出来ない。」
と荒く言えば、流石に悪かったと心付き、直ちに折れて非常に愛らしく父の首に縋り付き、
「御免なさい。其れだって阿父さん後見人などと余り名前が恐ろしいでは有りませんか。」
と言って髭髯深い頬の辺りに接吻するっは全く罪も無い少女である。父も忽ち打ち解けて、
「成るほど後見人t言ったのは父が悪かった。後見人では無い。阿母さんだよ。
清「エ、エ、阿母(おっか)さん・・・・とは。」
父「実はな、父ももう長年の独身に飽きたからもう一度婚礼して、和女の為に阿母さん同様の婦人を迎え様と思って。丁度似合わしい貴婦人が有って此の頃縁談が出来たから。」
半分聞いて清子は色を失えど、余りの意外に言葉も出ず、震える唇を噛み締めて眼の底に涙を浮かべた。父は気にも留めない様子で、
「全くの所は父が其の貴婦人を見染めたのさ。貴婦人も又父に惚れたのさ。其れだから方がた以て。」
と言葉はいまだ終わらないのに、清子は今までの我儘なる調子とは全く違い、此の気質にて、斯くも静かなる言葉が吐かれるかと怪しまれるほど沈痛なる声音となり、
「阿父さん、其れは継母では有りませんか。後見人より猶ほ酷い・・・。」
と言い掛けてハラハラと涙を落とすは、深く心に、情け無く思う所が有りと見える。
onnaayameⅡ
英国某の州に河畑郷の河畑家と言って由緒正しい旧家が有る。此の家の一間に今や一通の手紙を開き、幾度か読み直して思案して居るのは主人良年である。};
「アア俺も今年は四十七、娘清子は十六になった。四、五年の内には然るべき所夫(夫)を持つ事に成ろうが、先年妻に分かれて以来、物入りや失敗続きで、婚礼の支度も此の向きでは思う様にしては遣れない。何とかして家道を再興し、せめては現在の財産だけでも減らさない様にしなければならないと、先頃から奔走した甲斐が有って、此の通りの通知を得た。特使としてオーストリアへ派遣せられるのは有難い。特使だけに莫大な手当ても有り、滞留二年の間には、交際費や賞金で、まず後々の困難は免れると言う算段は立つが、併し娘を承知させるのが困難だて。近々オーストリアへ行くかも知れない事だけは、承知させて有るけれど、肝腎の一条は未だだ・・・・。」
と言い掛け、外交官にも始末に負えない一難題が横たわっているかの様に、首(こうべ)悩まし、
「イヤ是も全く娘の為だから仕方がない。何しろ母が亡くなって以来、俺の手一つで、大事に大事に育てた丈け、もう自分で此の家の女王の積もりで居て、自分の気に入らないことは、俺の言葉さえ受け入れないから困るよ。尤も昔から人を指図しても、人の指図は受けないと言うのが、此の家の代々の気風で、女ながらもアノ通り毅然とした気質を持って居るのは感心だ。アノ気質でなければ、到底人の上に立って、尊敬されて行く事は出来ない。けれどもだ、フムけれどもだ。少しは気を練って、素直に人に従うと言う躾も付けて遣らなければ、第一所夫を持った時に自分が辛い。学問の教育は一通り終わったから、是からは躾と言う実地教育、是が何より大切だ。何しても、俺が不在の二年の間に、十分仕込んで遣らなければならない。アノ通り今まで一人で巾を利かせているから、俺の言葉を聞き怒るだろうが、仕方がない。」
漸くに思い定め、鈴を押し鳴らして、入って来た召使に、
「娘を之へ呼べ。」
と命ずるに、やや有って入って来たのは、十六歳よりも十七歳に近く見える娘清子である。身の作りは行き届いた方では無いが、顔の美しさは驚かされる許かりである。今両三年も経てば、どれほどの美人に成ることか分からない。父は穏やかに、
「実は先達っても話して置いた、オーストリー行の件だが、此の家が昔から、立派な外交官を出したのと、此の父が先年外交官を勤めた経歴で、愈々拝命することになった。就いては留守中の家の取り締まりや、その他色々和女(そなた)に話す事が有る。が先ず腰をお掛け、其の様に立って居ては終わりまで話が出来ない。」
留守中の家の取り締まりは聞かなくても知って居ますと言う様な面持ちで、
「イイエ、腰を卸して好い時には自分で卸します。」
と言うのは、いかにも此の家の女王かと思われる振る舞いである。
父「事に依ると、意外に早く出発しなければ成らないかも知れないから、ここで残らず言って置くが、成るほど和女に留守の取り締まりは十分出来るにしても、十六の娘に留守を任せたと世間に聞こえては、余り此の父が不行き届きの様に思われるから、其処を好く考えて貰わなければならい。」
優しく言われて腰を卸し、
「世間の人が何と言おうと、雇人も大勢居ますから、私一人で沢山ですよ。」
と言うのは子供心に、独り一家を治めるのを非常に名誉ある事と思い、我が身の貫目(重さ)が加わる様に感じる為に違いない。
父「イヤ此の父が家に居れば、この様に和女一人で沢山だが、父が留守となれば、第一雇人も言うことを聞かない。」
清「イイエ、其の様な雇人は有りません。若し有れば取り替えます。何時も阿父(おとっ)さんの留守中は、皆が却って好く私の言い付けを守りますよ。」
父「イヤいつもの留守と今度の留守とは違う。」
清「では何う為さろうと仰るのです。」
父「然るべき年頃の婦人を、和女の後見人の様にして、此の家へ置こうと思う。」
清子は後見人との言葉を非常に賤しむ様に、
「其の様な者は要りません。無い方が余っぽど好う御座います。」
いつもより一層我が意を張ろうとするので、父良年は聊か気を損じた様子で、
「イヤ其の様に一々異存を唱えては話も出来ない。」
と荒く言えば、流石に悪かったと心付き、直ちに折れて非常に愛らしく父の首に縋り付き、
「御免なさい。其れだって阿父(おとっ)さんが、後見人などと言うので、余り名前が恐ろしいでは有りませんか。」
と言って髭髯深い頬の辺りに接吻するは、全く罪も無い少女である。父も忽ち打ち解けて、
「成るほど後見人と言ったのは、父が悪かった。後見人では無い。阿母(おっか)さんだよ。
清「エ、エ、阿母(おっか)さん・・・・とは。」
父「実はな、父ももう長年の独身に飽きたから、もう一度婚礼して、和女の為に阿母さん同様の婦人を、迎え様と思って。丁度似合わしい貴婦人が有って、此の頃縁談が出来たから。」
半分聞いて清子は色を失ったが、余りの意外に言葉も出ず、震える唇を噛み締めて、眼の底に涙を浮かべた。父は気にも留めない様子で、
「全くの所は、父が其の貴婦人を見染めたのさ。貴婦人も又父に惚れたのさ。其れだから方がた以て。」
と言葉はいまだ終わらないのに、清子は今までの我儘な調子とは全く違い、此の気質で、これほどまでも静かな言葉が、吐かれるかと怪しまれるほど、沈痛な声音となり、
「阿父さん、其れは継母では有りませんか。後見人よりもっと酷い・・・。」
と言い掛けて、ハラハラと涙を落としたのは、深く心に情け無く思う所が有ると見える。
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知らない人も多いが、「雪姫」と言えば英国第一の美人して、噂に聞いた事の無い人は居ない。何の為の綽名であろうか。白い顔に少しも血の気が無く、深い秘密を隠している様に見える為か、心が冷ややかで情の無い人かと疑われる為か、将又他に深い仔細が有る為か、読み終わる迄には自ずから知る所となる事でしょう。
英国某の州に河畑郷の河畑家と言って由緒正しい旧家が有る。此の家の一間に今や一通の手紙を開き、幾度か読み直して思案して居るのは主人良年である。
「アア俺も今年は四十七、娘清子は十六になった。四、五年の内には然るべき所夫(夫)を持つ事に成ろうが、先年妻に分かれて以来、物入りや失敗続きで、婚礼の支度も此の向きでは思う様にしては遣れない。何とかして家道を再興し、せめては現在の財産だけでも減らさない様にしなければならないと、先頃から奔走した甲斐が有って、此の通りの通知を得た。特使としてオーストリアへ派遣せられるは有難い。特使だけに莫大な手当ても有り、滞留二年の間には、交際費や賞金で、まず後々の困難は逃れる言う算段は立つが、併し娘を承知させるのが困難だて。近々オーストリアへ行くかも知れない事だけは承知させて有るけれど、肝腎の一条は未だだ・・・・。」
と言い掛け、外交官にも始末に負えない一難題の横たわれる如く首(こうべ)悩まし、
「イヤ是も全く娘の為だから仕方がない。何しろ母の亡くなて以来、俺の手一つでで、大事にに大事に育てた丈け、もう自分で此の家の女王の積もりで居て、自分の気に入らぬことは俺の言葉さえ受け入れないから困るよ。尤も昔から人を指図しても、人の指図は受けないと言うのが此の家の代々の気風で、女ながらもアノ通り毅然とした気質を持って居るのは感心だ。アノ気質ででなければ到底人の上に立って、尊敬せられて行く事は出来ない。けれどもだ、フムけれどもだ。少しは気を練って素直に人に従うと言う躾も付けて遣らなければ、、第一所夫を持った時に自分が辛い。学問の教育は一通り終わったから、是からは躾と言う実地教育、是が何より大切だ。何でも俺が不在の二年の間に十分仕込んで遣らなければならない。アノ通り今まで一人で巾を利かせているから、俺の言葉を聞き怒るだろyが、仕方がない。」
漸くに思い定め、鈴を押し鳴らして、入り来た召使に、
「娘を之へ呼べ。」
と命ずるに、やや有って入り来たのは、十六歳よりも十七歳に近く見える娘清子である。身の作りは行き届いた方では無いが、顔の美しさは驚かされる許かりである。今両三年も経てば如何ほどの美人に成ることか分からない。父は穏やかに、
「実は先達っても話して置いたオーストリー行の件だが、此の家が昔から立派なな外交官を出したのと此の父が先年外交官を勤めた経歴で、愈々拝命することになった。就いては留守中の家のの取り締まりやその他色々和女に話す事が有る。が先ず腰をお掛け、其の様に立って居ては終わりまで話が出来ない。」
留守中の家の取り締まりは聞かなくても知って居ますと言う様な面持ちで、
「イイエ、腰を卸して好い時には自分で卸します。」
と言うのはいかにも此の家の女王かと思われる振る舞いである。
父「事に依ると意外に早く出発しなければ成らないかも知れないから、茲で残らず言って置くが、成るほど和女に留守の取り締まりは十分出来も、十六の娘に留守を任せたと世間に聞こえては余り此の父が不行き届きの様に思われるから、其処を好く考えて貰わなければならい。」
優しく言われて腰を卸し、
「世間の人が何と言おうと、雇人も大勢居ますから、私一人で沢山ですよ。」
と言うのは子供心に独り一家を治めるのを非常に名誉ある事と思い、我が身の貫目の加わる様に感じる為に違いない。
父「イヤ此の父が家に居ればこう和女一人で沢山だが、父が留守となれば第一雇人ンも言うことを聞かない。」
清「イイエ、其の様な雇人は有りません。若し有れば取り替えます。毎も阿父(おとっさん)の留守中は、皆が却って好く私の言い付けを守りますよ。」
父「イヤ毎もの留守と今度の留守とは違う。」
清「では何う為さろうと仰るのです。」
父「然るべき年頃の婦人を和女の後見人の様にして、此の家へ置こうと思う。」
清子は後見人との言葉を痛く賤しむ様に、
「其の様な者は要りません。無い方が余っぽど好う御座います。」
毎もより一入我が意を張ろうとするので、父良年は聊か気を損じた様子で、
「イヤ其の様に一々異存を唱えては話も出来ない。」
と荒く言えば、流石に悪かったと心付き、直ちに折れて非常に愛らしく父の首に縋り付き、
「御免なさい。其れだって阿父さん後見人などと余り名前が恐ろしいでは有りませんか。」
と言って髭髯深い頬の辺りに接吻するっは全く罪も無い少女である。父も忽ち打ち解けて、
「成るほど後見人t言ったのは父が悪かった。後見人では無い。阿母さんだよ。
清「エ、エ、阿母(おっか)さん・・・・とは。」
父「実はな、父ももう長年の独身に飽きたからもう一度婚礼して、和女の為に阿母さん同様の婦人を迎え様と思って。丁度似合わしい貴婦人が有って此の頃縁談が出来たから。」
半分聞いて清子は色を失えど、余りの意外に言葉も出ず、震える唇を噛み締めて眼の底に涙を浮かべた。父は気にも留めない様子で、
「全くの所は父が其の貴婦人を見染めたのさ。貴婦人も又父に惚れたのさ。其れだから方がた以て。」
と言葉はいまだ終わらないのに、清子は今までの我儘なる調子とは全く違い、此の気質にて、斯くも静かなる言葉が吐かれるかと怪しまれるほど沈痛なる声音となり、
「阿父さん、其れは継母では有りませんか。後見人より猶ほ酷い・・・。」
と言い掛けてハラハラと涙を落とすは、深く心に、情け無く思う所が有りと見える。