巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime16

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.9.20

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         第十六回‎ 「終わりまで、終わりまで」

 此のころ楠原公爵は、自邸に大パーテイーを催そうとして、その用意を初めたが、社交界の人々は之に依って、公爵が遠からず、雪姫の清子に、縁談を申し込もうとしているのを知った。此のパーテイーは、必ず清子と夫婦約束が出来た事を、披露する目的を兼ねるものなので、縁談の申込は、パーティーから数日の前に在るに違いないと、皆も噂し合っていた。

 噂は的中した。或る朝、清子の父良年は、公爵から手紙を得、食事が終わった後、之を開いたが、読み終わると共に、満面に喜色を浮かべ、
 「此の頃の様に幸福の続く事はない。私が心に願ったよりも、更に一層の幸いが降って来た。」
と呟きつつ清子に向かい、

 「幸いとは和女(そなた)の身の上に係わる事だ。後で私の居間へ来てお呉れ。」
と言って退いた。清子は心の内に、最早や人に、結婚を求めて言い寄る事も出来なくなった盗人の隠し妻に、何で幸いの降り来る事が有るだろうと、非常に苦(にが)く諦めつつ、父の部屋へ入って行くと、

 父は重大な用向きを、言い出そうとする様に、非常に荘重には身構えたが、ややともすれば、笑みが洩れて、頬の辺りが崩れ掛かるのは、能々(よくよく)の嬉しさと見える。やがて清子の坐するのを待ち、

 「言う迄も無いことだが、コレ清子、父は以前から、和女の後々を仕合せにしたいと思い、色々と苦心もして居た。今という今は、愈々(いよいよ)その苦心が届き、一家の世間から受ける評価に余る程の、有難い縁談を受けた。」

 清子は、父が多く言わない中に、言葉の潮先を挫いて置こうと思い、
 「縁談などと、阿父(おとつ)さん、私はーーー」
言い掛けると、遽(あわただ)しく両手で伏せる様に、遮(さえぎ)り止め、
 「先ア、何にも言うな、黙って、黙って、父の言葉を終わりまで聞いて呉れ。イヤ和女(そなた)の気難しいことは知っているよ。知っては居るが、終わりまで聞きさえすれば、何もその様に情け無い顔をする事では無い。それはもう年頃の娘は、誰でも縁談と聞けば恥ずかしいーーー。」

 清「イヤ、阿父さんーーー、」
 良「イヤ、黙って、黙って、終わりまで、終わりまで、それは恥ずかしいのが当然だ。けれど私に向かっては、恥ずかしいも何も無い。先ア先方を誰だと思う、あの立派な、美しい、貴族中の貴族と言われる公爵だよ。

 エ、楠原公爵だよ、イヤ何も驚く事は無い。黙って終わりまで、終わりまで、余り身分が違うから、勿体ないと思うだろうが、イヤ、終わりまで言うのにサ、此方だって、昔の十字軍以前から、血統の連綿と続いた家筋、少しも公爵の家筋に劣る事はない上に、今は子爵と為り、貴族の一家だ。

 取り分け、先方は和女(そなた)を属魂思い込み、宛(まる)で平服したも同様の、恭(うやうや)しい言葉を、コレ此の手紙に書いて、何とか、嬢を我妻とする事に賛成して呉れと、此の父に願って来た。ナニ、少しも出し抜けでは無いよ。

 今迄和女(そなた)が何処へ言っても、公爵は影の様に和女の身に付き添い、世間の人から、必ず縁談を申し込む者と思われて居るのみならず、先日も私に向かい、暗に縁談の心を仄(ほの)めかした。

 私も暗に承知する様に悟らせて置いた。それだから此の通り手紙を寄越したのだが、何と和女(そなた)は本当の仕合せ者ではないか。楠原公爵と言えば、財産も申し分はなく、男振りにも気立てにも、申し分が無い。

 和女(そなた)が、此の人の妻となれば、直ちに女皇陛下の次に就く身分と為り、宮廷の席次とても、今では柳園伯爵夫人が一番上に座って居るけれど、和女が更に叉その上席に座るのだ。好く考えて返事をしろ。だがもう何も考える事はあるまい。
 オオ、オオ是で漸(や)っと和女の身の上が定まった。父は此の様な嬉しい事は無い。ホンに和女は何たる仕合せな事だろう。」

 独り喜んで、雀躍(こおど)りする許(ばか)りだ。
 清子は非常に悲しそうに、
 「阿父さん、此の様な事を申しては、余り貴方のお心に、背き過ぎて済みませんとは思いますけれど、私は此の縁談を聴く事は出来ません。ハイ楠原公爵の妻には成れません。」

 父は我が耳を疑う程に驚いたが、清子の様子は、余りに熱心にして、辛くも思い定めた色が、十分その顔に明らかなれば、唯だウンウンと呻きの声を発し、漸くにして、
 「何で、何で。」
と口走るばかり。

 清「ハイあの方を好きませんから。」
 父「何だ、好かぬ、何処が不足で好かないと言う。コレ、好く好かないのとは、十人十色に噂せられる、通例の人に向かって言う事だ。

 あの方などは、その様な疑問の上へ頭抜けている。婚礼さえすれば、その時から好きになるのだ。その様な言い訳は聞いて居られない。」
 清子は返す言葉を知らず、やや久しく無言で考えるにつけても、黙死将軍の言葉を思い出し、
 「アア黙って死ぬ外は無い。」
 真に死に兼ねない面持ちなので、父も仕方が無く、我を折って、
 
 「イヤそうまで思うなら仕方が無い。」
と言って、既に承知の旨を仄(ほのめ)めかせて置いた事を、今更父は断る事が出来ない。断らなければ、今にも愈々(いよいよ)和女(そなた)に逢い、直接に心のたけを、打ち明ける為め、此の家に来るだろうし。」

 清「イイエ、貴方がお断り為さる事が出来なければ、お出でを待って、私が断ります。」



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