巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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yukihime27

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.10.09

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        第二十七回‎ 「父上からのお願い」

 果たして清子の父良年は、非常な不興の様子で、入って来た友子の姿を見るやいなや、
 「全体清子は何の様な所天(おっと)を持つと言うのだ。先には第一流の貴族の縁談を断って、今度は又当世第一の英雄とまで噂される、春川鴻を断った。

 此の二つより優る縁談は、人間世界に在る事ではないが、神様をでも所天(おっと)にしなければ、満足しないと言う気か、良く聞いて来い。」
と何時になく荒々しく言った。友子は非常に優しく、

 「先(ま)ア、その様に仰(おっしゃ)るな。好き嫌いは傍から何と思っても、仕方が無いないものです。とりわけ清子は、日頃から何事も良く弁(わきま)えて居ますのに、それがこの様に断るとは、何か事情がある事でしょう。

 先年からして、雪姫と言われる迄に血の気も薄く、何に附けても塞(ふせ)ぎ勝ちに見えますのは、多分体に異常でもあるのでしょう。若し病気にでも成っては、猶更(なおさ)ら困る訳ですから、当分は気のままにして置いて戴きましょう。」

と、言葉を尽くして宥(なだ)めるのは、既に清子との約束の通り、身を以て清子を守る者と知られる。良年は深く友子の思慮に信頼を置き、何事にも良く行き届くのを知っているので、宥(なだ)めを聞いて、それも爾(そ)うかと思い直し、

 「なるほど、病気になられては大変だ。兎角女の子は、男親の思う様にはならない者だから、気長く和女(そなた)へ任せて置こうよ。爾(そう)サ、考えて見れば、清子も今年が猶(ま)だ十八だから。所天(おっと)定めは、そう急ぐ事でも無い。」
と、全く打ち解けたので、思ったよりも穏やかに事が済んだ。
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 「月日に関守なし」とか言うが、既に是から八年を経、曾(かつ)てセント、アイナの海濱で、彼の下林三郎が捕らわれてから、十年の上とはなった。彼は十年の懲役に処せられて、如何(どう)なって居るのだろう。

 無事ならば、もう夙(と)うに出獄した筈であるが、或いは獄中で死んだのだろうか。それとも出獄して、正しい業(わざ)に立ち帰たのだろうかとは、時々清子の胸に、恐ろしそうに浮かんで来る所なれど、思い出すほど悔しさ、忌まわしさが増すのみなので、強いて自ら、

 「どちらにしても、今まで私を引き連れに来ないところを見れば、もう断念したのであろう。求めて自分から心配する事は無い。」
などと呟(つぶや)き、勉めて心を他に転じていたが、若しや彼はまだ世に在って、再び私、清子の前に現れる事があったなら、如何(どう)したらよいのだろう。

 是を思うと、清子の身の厄難は終わる見込が附かず、可惜(あた)ら世の人に立ち優る姿を以て、仇に二十七年の春を迎えた事は、傷(いたま)しいとしか、言いようがない。 

 此の間の年月、清子の身は、全く庵室に籠った尼の様に送った。年々、社交の季節になれば、父と友子はロンドンに出て行ったが、清子は行かなかった。只此の別荘に居て、世間の事はなるべく耳に入れない様に勉め、僅(わず)かに、父の許へ遥々尋ねて来る客のみは、仕方なくも接したが、他家のパーテーなどに臨む事は、絶えて無かった。

 招待状には全て断りを出し、再び招待されない様に仕向けたので、両三年《二、三年》経て後は、世間も最早や雪姫は、社交場に見る事の出来ない者と諦め、却って安心する母親などもあって、或いは昔、東洋に有ったと聞く、小町とやらは、この様な気質の美人ではなかったか、などと怪しみ合う紳士もあるに至った。

 しかしながら、この様な間にも、幾分かは世間の噂が洩れて来て、耳に入るのを防ぐことはできなかった。或る人からは、春川がその後、世界周遊の途に上り、今以て何時帰るとも分からないとの事を聞いた。

 又或る人からは、あの楠原公爵が、独逸(ドイツ)連邦の一つである某州で、昔ならば皇女と崇めらるべき、今は貧しい姫君と結婚し、携えて帰って来て、非常に世間の親々娘々を失望させたと聞くなど、浮世の様子も、自ずから知られるけれど、世間の事を考える事を止めた身は、之が為に心を動かす事も無く、

 此の後幾年を辛抱すれば、天から死の使いが来て、我が身を引き取りに来てくれるのだろうかなどと、亡き人の数に入る事を、我が苦行の終わる時だと心得、只管(ひたす)らに堅く身を持して暮らして居たが、既に十一年目の夏に及び、或る日の事、清子の部屋に、一、二種の果物を盆に盛って、微笑みつつ友子が入って来て、

 「清子さん、貴女は此の暑いのに、良く部屋の中に居られます事」
と言い、更に二言三言談話した後、
 「今日は父上から、貴女へお願いが有って、私がお使いに来たのですよ。」
と笑顔の儘(まま)で言い出した。

 清子は不思議に思い、
 「エ、阿父(おとっ)さんから、私へお願い。そうお改まりなさらなくても、お命じ下されば、その通りにいたしますのに。」

 友「イエ、それはそうですけれど、若し乃公(おれ)が直々に言えば、気に向かない事でも、勉めて承知するから、若し体にでも障ってはならない。物柔らかに和女(そなた)から、言ってみて呉れ。そうして、否(いや)な様なら、どうしてもでは無いけれどト。」

 「此の通り幾年も我儘(まま)を立て通し、今以て独身で居ますのが、私は何よりも父上に済まないと、毎(いつ)も心にお詫び申して居る程ですから、所天(おっと)を持つより外の事は、何でも仰(おお)せに従います。父上のお望みと思えば、何をしても嬉しく気が進みます。」

 友「それが今度は、余り気が進まない事柄だと思いますから、それで改めて願うのです。父上許りでなく、私からもですよ。」
 清「ハイ、聞かないうちにお受け致しましょう。但し縁談でさえなければですよ。」

 友「それは分かって居ます。実は今度、レイトン国から、貴女と父上と私とへ宛てて、招待状が参りました。是非とも此の招待へ応じて戴きたいのです。」
 清「エ、招待、世間は未だ、私を忘れずに居るでしょうか。」

 友「百年経たとて、忘れません。ロンドンでも貴女の事を問われる事が、幾度もありますけれど、私が好い様に言い、招待状を送っても無益だと思わせてあるのです。併し此のレイトン国へ許りは。」
 清「レイトン国とは何国(どこ)ですか。」

 友「アレ、もうお忘れになりましたか。先年、戈田(ほこた)武男さんが、レイトン家から買い入れた別荘です。」
 清「アアあの菱江夫人の。」
 友「そうです。あのご夫婦からのお招きです。」

 清「何故に父上が、此の招待に限り、特に私へ出席して呉れと仰(おっしゃ)るのでしょう。」



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