巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面18

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.7.18

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          第九回                  a:1526 t:2 y:0

 夫人は荒武者が恍惚としている間に玄関から門の方まで忍び出たが、降る雪はもう30cm近くも積もり、風も強く顔を打って寒さは一方でなかったが、幸い門番が寝静まっていたので、そっとくぐり戸を開けて表へと出たが、これから何処を頼って行こうか。

 この頃ブリュッセルには、オーストリーの皇帝レオポルドの腹臣ライソラ伯爵を初めとして、フランスを憎みルイ王を恨む者がいたる所に潜んでいる有様だから、夜さえ明ければ身を寄せるところはいくらでもあるが、それまでどこで夜を明かしたらよいだろうと、あれこれ考えているうちに、あの荒武者がそれを悟って追いかけて来るかも知れないと思い、どこへとあてもなく、ただ、体の向くままに、柔らかな絹靴を、深く雪の中に踏み込み踏み込み転びながら、後ろも見ずにいくつもの町を逃げてきた。

 その内に靴の芯まで濡れ通り、足の先がちぎれるほどの冷たさを感じて、もはや一歩も進むことができなくなり「誰か助けて」と泣き声で叫んでみたが答えるのはただ風の音だけだった。

 こんな事では死なんと気を励まして起き上がったが又倒れ、倒れては又立ち上がる。この様なことを何ども繰り返した末、ついに根も尽き果て、気も衰え、気が遠くなってその場に倒れてしまったがしばらくして、誰かが我が身を助け起こそうとしているのに気が付き、ようやく顔を上げながら、

 「アア、どなたか知りませんが、どうか近くの宿屋まで連れて行ってください」と虫の息で頼むと、助けた人は夫人の高価な外套の手触りに驚いたようにして「オオ、家もない乞食の行き倒れかと思い、かわいそうだと助け起こしたら、何だつまらない、絹の服を着ているワ。この様な立派な身分で雪の中で凍えているとは自分からそうしているのだろう。」

 「自分からわざとそんなことをしている女を助けてもしかたがない。こっちは生死も分からない大事な主人を抱えていて、気がもめて気がもめて仕方が無い。夜の明けるまでには誰か又体の暇な人が通りかかって、拾い上げてくれるだろう。それまでここで待つがよいだろう。」と言い捨てて立ち去ろうとするので、

 夫人はほとんど堪えかねて、「それはあんまりひどすぎます。オリンプ夫人とも言われる者がこんなに頼んでいるのに。」と嘆くと、男はびっくりして振り返り「ヤヤ、何だと、オリンプ夫人だと、同じ名前のオリンプ夫人は二人はいない。」と言いながら夫人の顔を引き上げて雪に透かしてじっくり見て、

 「イヤ、これは貴方様でしたか、どうしてまあここに」と言うより早く軽がると抱き上げて、自分の背中にヒラリと回し、一言も言わずに背負い去ろうとした。夫人は、なおも合点が行かず「コレ、待って、待って」と背中から声をかけたが、彼はあたかも小児でも背負うように、引き締めて動かさずに、何の苦もなくスタスタと歩き去るので、夫人は夢でも見ている心地で「コレ、私の名を知っているそなたは誰だ。敵か味方か、名は何という。」

 男は歩きながら「オオ、名を言っても貴方には分かりません、今夜、主人の敵の行き先を見届けるために、荒武者の後を追い、宵からバチエル街のある屋敷の裏手で、中の様子を伺っているうち、あまりの寒さに腰のトックリを取り出して、グビリグビリとやりすぎてついトイレの裏で寝込んでしまい、今しがた、寒風に目を覚ましましたが、屋敷の中はヒッソリと静まり返っていたので、朝迄いても無駄だと思い、又主人の生死もこころもとなくこの通り帰りかけて、はからずも貴方を救い上げたご覧の通りの背中の広い奴です。

 昨年主人のおともをしてパリへ行き、貴方様のお姿を馬車の外からチラリとうかがいましたが、貴方様はまだ私の顔はご存じありますまい。」と言う言葉はぞんざいだが非常に誠意が感じられ、味方であることは確かだったので夫人は初めて安心し、

 「して、そなたの主人と言うのは?」「バンダ嬢でござります」夫人は奴(やっこ)の背を揺するほど驚き「何だ、あのバンダの僕(しもべ)か。それでは聞いたことがあるブリカンベールとはそなたじゃないか」
 
 男は声高く笑って「やっこめのつまらない名前が王族の耳にまで入りましたか、こいつは低い鼻が高くなるわい。」「ところで、今主人の生死も心許(こころもと)ないと言ったが、バンダの身に何か怪我でも。」「イヤ、怪我をしたのはバンダ様ではありません、アルモイス・モーリス様です。」

 夫人は再び驚いて「あのモーリスが怪我をしたとはどういう事ですか?」「私も詳しくは知りませんが、何でもルーボアの回し者と決闘をして、傷つけられたと言うことです。私がいたならばその回し者の首を一捻(ひとねじり)りに捻切って、どぶにたたき込んでくれましたのに、私が昨日から使いに出ていて、この土地に居なかったばかりに、取り返しのつかないことになりました。」

 帰ってみますと、たった今くせ者が立ち去ったと所でしたので、死骸のようなモーリス様をバンダ嬢に任せておいて、すぐその後を追いましたが、何でも警視会計官のナアローの別荘に居る奴です。

 こう本人さえ分かっていれば敵はいつでも打てますが、それにしても名前だけは聞いて置きたいと思い、裏手の方で下僕か誰かの出て来るのを待つうちに、今言った通りつい寝込んでしまいました。今夜で三晩も夜も寝ないで駆け回っておりましたので、いつになく寝てしまったのは人に聞かれて恥ずかしいが、今更仕方が在りません。」
 
 夫人は背負われながら、そうすると私を引き留めたあの荒武者が、モーリスの敵だったのかとうなずいたが、モーリスの身の上が気がかりだったので、これ以上口を聞かずに、奴の歩くままに任せておくと、やがて町外れの、ある家の入口に着いた。



第9回終わり

つぎ十回はここから

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