鉄仮面25
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第十六回
ここに又オリンプ夫人は、ブリカンベールに送られてようやくパリに帰り着き、住んでいるソイソン邸に入ったが、今日の姿は昨日の姿ではない。昔思えば国王の未婚の妻として飛ぶ鳥落とす勢いで、日々ご機嫌伺いにと訪ね来る人は数え切れないほどだったが、その頃とは打って代わって、広い屋敷の門前も雀取りの網が張れるほどがらんとして、馬車を通わす表門は閉めたまま、その鍵が錆び付くのに任せ、大勢の下男下女も用事もないのでしーんと静まり返り、家中さながら喪にでも服しているのかと間違うほどだ。
夫人はこのようなもの寂しい中にあって何一つ心を慰める物も無いので、邸内にある高い塔の一室にこもり、時々窓を開けて空行く雲を見る以外はわが身のはかなさを嘆くばかりだった。
国王に捨てられてからもう何年経っただろう、我と我が心を苦しめる恨みの念も、ただヒリップを愛し始めたため少しは紛れることもあった。
いっそのこと、この世の栄華を忘れヒリップとともに人知れぬ深山の奥に隠れようかなどと、時にはそのように思ったりすることもあるほどになっていたのに、今はそのヒリップにまで捨てられてしまったとは、これにまさる恨みはあろうか。
思いやってみれば恩も知らず、義理も知らないヒリップの憎らしさは、国王にもまさるほどだったので、帰って来てから一週間ほどはひたすら彼の薄情さを恨んでいたが、寂しさが日に日に募り、恨みも又初めの恋しさに変わり、この様な時にヒリップが私の側にいたら、どんなにか寂しさも軽かったろうにと思い、彼をナアローの家に残し、わが身ただ一人で逃げたのは彼よりも自分の方こそ不実だった。
彼は何日か私の行方を捜したが、見つからなかったので絶望して、川に身投げでもしてしまったのではないか。あるいは、私から今にも迎えが来るのではないかと、心待にして待っていたのに、迎えが来なかったので、もう私に捨てられたと思い、腹だち紛れに何処かに立ち去ってしまったのではないか。いやいや、そんなことなら、この屋敷まで訪ねて来るはずなのに、それもしていないのは、もしや又ルーボアの手先に捕まり、私の事を尋問されて、なにも白状しないので、バスチューユ大監獄に投げ込まれているのではないだろうか。
そうだ、そうに決まっている。大監獄に入れられたのでなければ、何で一枚の手紙もよこさないはずが有ろうか、と結局彼の不実をすべて許し、密かに人を雇ってブリュッセルまで捜しにやったが、彼がナアローの家から何処へ行ったかは、全くわからないとの知らせを聞き、夫人は自分の推量の正しさを確信し、彼を愛する気持ちが一層深まり、夜昼の別なく気が狂ったようになり、今はせめてもの思いやりにと、彼の使っていた道具類を自分の居間に集めて撫(な)でたり、眺めたりしてほんのちょっとだけ気晴らしの足しにしているのは、哀れという以外に言葉が無い。
今日も夫人は朝からヒリップの事を思いながら、夕方まで気がふさいでいたが、そこへ扉を軽く開いて入って来た一人の女があった。身には黒くて長いコートを着てそろそろと夫人の横に出て「又お考えでございますか」と言う。
夫人はたまの訪問に喜んだ様に振り向き「おお、バイシン、今は貴方の他は誰も会いに来てくれる者がいない。良く来てくれました。色々と相談したいことがあります。」と言って横手の椅子を指し示すとバイシンは静かにコートを脱ぎ捨てた。下に着ているものは上等の絹服で、誰の前に出ても恥ずかしくない身ごしらい、その上その顔つきも十人並の美人で年は二十六、七才位で器量より何処と無く頭の方が良さそうに見える人だった。
そもそもこのバイシンと言う人は、前に白ベッドで殺されたローレンザと同じくイタリヤの生まれで、幼い頃から夫人の側に仕えていたが、二十歳になった時、国王ルイの馬役を勤めるアントインと言う者と恋仲になり、夫人に暇をもらって結婚した。
当時は世間一般に色々なまじないが信じられており、王家を初めとして堂々たる政治家までも、鬼のおつげや神のおつげなどを本気になって信じていたので、巫子や占いをする者などが一般にもてはやされる時代だった。
バイシンは生まれつき知恵もあり、人の相を見、人の心を見抜くのが得意だったので、心迷える貴夫人達には巫子のように敬われていた。色々な家に招かれて、秘密の占いを頼まれるに従って色々なことを耳にし、当時上流社会の秘密でバイシンが知らないことは一つもなく、バイシンの舌一枚で宮廷のお偉方を赤面させるのも、たやすい事だったので、何時の頃からか非常にルーボアに憎まれて、夫の仕事も邪魔されるようになっていたので、夫と共に秘密党に入り人知れず働いていた。
特に、この三、四年は毒薬学の創始者と言われている、イタリヤ人エキジリを初めとして、その他の学者に交わり、深く毒薬の真理を極めたと言う噂もあり、そのせいかは分からないが、バイシンの家は庭木までもイタリヤやその他の遠国から取り寄せた、パリ人の見たことの無いような物ばかりだったので、これも皆恐ろしい毒草に違いないと言いはやし、さすがのルーボアさえもこの女には、なかなか手出しが出来ない状態だった。
後に毒薬使用者の調べが厳しくなったとき、この女は真っ先に調べられ、東洋で行われていると言われている釜茹(かまゆで)の刑に匹敵すると言われる、硫黄火焼き殺しの刑を宣告され、二百年の後までラ・バイシンの恐ろしい名を残したのは実際この人だったのだ。