gankutu23
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2011. 1. 7
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
二十三、百日間
全く、これよりして世の様は野々内の言った通りとなった。横領者ナポレオンはいずれの土地にも歓迎され、疾風の勢いをもってパリーに帰った。真に捲土重来《一度負けた者が再び勢いを盛り返し攻めて来る事》とはこの様な有様を言うのだろう。
国王ルイ十八世は夜逃げ同様に王宮から逃げた。その慌て方がどれ程ひどかったかということは、彼が蛭峰らを引見したチューレリー宮の一室に、彼の吸い指しの巻き煙草をそのまま残してあって、ナポレオンが手ずからこれをテーブルの上から揉み捨てたと歴史書に書かれているのでも分かる。
何しろ、その頃のフランスのように、国家の主人がしばしば変わった国は無いだろう。国王の在位わずかに十ヵ月で、天下は再びナポレオンのものとなった。
馬鹿を見たのはあの蛭峰である。国王への忠勤のため、内閣大臣にも任ぜられるかと、楽しんだのに引き換え、今はその過ぎ去った忠勤を人に知らせてさえならないことになった。彼がルイ王から頂いた武勲の勲章は、直ぐに後から内大臣が文官のと引き換えて送ったけれど、彼はこれを帯びることが出来ない。帯びれば直ぐに疑われてどの様な目に合うかも知れない。しかし、そのうちにナポレオンが躓(つまずき)き倒れてルイ王の治世とならないとも限らないから、その時の用意にと密かに箪笥(たんす)の底にしまって置いた。
この様なわけで、米良田家の令嬢との婚礼も期限を定めずに実行が延びた。もし、我が父の野々内が朝廷の有力者とならなかったら、無論免職となるところだったろうが、父の威光で、免職だけは免れた。そうして元の検事補で小さくなって勤めている。
* * * * *
世の様はこう改まったが、それにつけても、かの団友太郎はどうなっただろう。泥埠要塞のの土牢に入れられたまま。世の人から忘れられたも同様ではあるけれど、普段愛されていた人からは未だ忘れられては居ない。中でも彼の雇い主森江氏は、ナポレオンの復位と共に、直ぐにも釈放されるだろうと心待ちに待ったけれど、音も沙汰も聞かないので、ある日蛭峰の所に、催促かたがた問い合わせに出かけて行った。
勿論蛭峰は丁寧に森江氏を向かえたが、団友太郎のことを聞かれると、全く忘れた様で、「お待ちなさいよ、そんな人が有りましたっけ、」と言って手帳のようなものを繰り返した末、「アア、ありました。」と答えた。''
森江氏はこの人の物忘れに少し呆れながらも、非常に強く「彼が捉えられたのは全くナポレオンの帰国に関係したと言うためですから、ナポレオンの復位と共に釈放のみか、賞与の沙汰まで受けなければなりません。外の国事犯はそれぞれ釈放されたと聞きますのに、彼一人はどうなりました。」
どうなったのでもない。既にこの蛭峰のために再び世には出ることが出来ない者とされてしまったのだ。彼は益々とぼけて、「何しろ捕らわれた当日に直ぐに私の手から離れ、他に移されたので、残念ながら私は何も知りません。」
森江氏;「貴方の手を離れて何処に移されました。」
蛭峰;「何処ですか。通例アノ様な国事犯は裁判所よりも上の権力をもって処分され、時には誰にも分からないように、随分遠い島に隠されたりするようなことがありますから、これは願書を書いて内閣に直訴するのが一番の近道でしょう。裁判所や監獄の官吏にお聞きになっても無益です。」
森江氏は全く落胆して「願書では何時拉致があくか分かりません。毎日内閣に集まる願書は二百通以上もあって、内閣大臣がこれを読むのは一日三通を越さないと言いますから。」
蛭峰;「イヤ、それは普通の願書のことです。特別に私が奥書を付けて官の書類として私から転送すれば、外の願書より先に取り扱います。」
森江氏;「では貴方がそれだけの手続きを運んでくださいますか。」
蛭峰;「ハイ、他ならない貴方のことですので。」
森江氏はこの親切を喜んだ。「それで、願書はどの様に書きますか。」蛭峰はもっともらしく考えて、「私が奥書きを付けるのには余ほど当人が横領者イヤナポレオンのために著しく働いたように書いておかなければ成りません。余り軽々しい罪人のように書いては、何でこの様な者に検事補が奥書したかと疑われます。のみならず忠勤の厚い者だけ早く釈放してくれますから。」
森江氏;「願書はどの様にでも、貴方のお指図どおりに書きます。」
蛭峰;「では私が口授しますから、その文句通りにお書きなさい。」と言って紙筆を森江氏に渡した。勿論氏は進んでその言葉に従った。
その文句には団友太郎のことを「熱心に心を皇帝に寄せた忠勤者」と書き、彼が一命を投げ打っても皇帝の密書を届け先まで届けようと企てたように記した。出来上がって読み直してみると、まるで友太郎が、皇帝の帰国に当たって、実際危険な働きをした一人のように見える。実は蛭峰はこれを我が手に握りつぶしておいて、他日再び国王の治世となった日に自分の手柄と申し立てる一か条に加えるつもりなのだ。
けれど、そう疑われてはならないから、又も、もっともらしく考えて、「しかし、森江さん、この当人はーー」、彼は自分の気が咎めるため、団友太郎の姓名を口にするのさえ恐れて、ただ「当人」としか言わない。友太郎の名前が腹の底を針で突くように響くのだ。 「この当人は既にどこかで釈放でもされているのではないですか。」
森江氏;「釈放されたなら直ぐに私のところに帰って来るはずです。決してまだ釈放はされていません」
蛭;「では直ぐに、この願書を内閣に送付いたします。」
こう請合って森江氏を帰したけれど、送付しない願書の効き目があるはずはない。この後森江氏は矢張り蛭峰の手を経て三度まで追願を発した。そうしてその間にも蛭峰を訪ねて「余り貴方のご親切に甘えるようですが」と前置きを置いては催促したことは幾度と数が知れない。けれど、その度に蛭峰の巧みな口先に言いくるめられてしまった。
その内に、悲しいかな百日は経ってしまった。ナポレオンの再度の治世は百日間で有ったことは、歴史家ならずとも、一般の読者の知るところである。百日の後、ナポレオンは音に名高い、ワーテルローの最後の敗軍のため、今度は二度と帰ること出来ない、セント・ヘレナの弧島に送られた。英雄の末路、悲しむべきではあるが、これは自業自得である。
これよりなお悲しむべきは、このために全くこの世に救い出される見込みが無くなった団友太郎である。
前途限りのない、十九歳の少年で、地の底深い土牢の、真っ暗な部屋の中に、身を動かす空地もなしに生涯を送るのだ。
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