gankutu62
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
六十二、暮内法師
小箱の中を1目見てけた毛太郎次は「アッと」叫んだ。彼は仕立て職人であっただけに、服装や装飾品の事は幾らか知っている。ダイヤモンドの良し悪しや値打ちなども多少は分かる。真に稀(まれ)に見る品質である。昼もまばゆいばかりにきらびやかに光り輝いている。
「エ、法師さん、これを友太郎の友達に分けるのですか。その友達とは誰と誰ですか。何人です。友太郎には私の外にそう多くの友達がいたとは思われませんが。」
この熱心な様子を見て、法師は早や目的の達するのを見て取ったらしい。先ず大事そうに箱の蓋を閉じてポケットに納め、「友太郎が名指しをしたのは五人だがーーーー。
五人とすれば平等に分けても一人当たり一万フラン(現在の1、500万円)にはなるとの計算が早や毛太郎次の胸には浮んだ。 毛;「エ、五人、そうして平等に分けるのですか。」
法師;「平等では有るが、最早死んだ人もあるでしょうし、又同じ友達のように見えても、その実は、友太郎から形見を受けるほどの実意のなかった人もあるだろうし。兎も角五人の中で実意のあった者だけに分けてくれと言うのです。」
毛;「まあ、その五人の名を聞かせてください。」
法師;「一人は一緒に船に乗っていた男で段倉というのです。」 「エ、エ、段倉を、友太郎は親切な友人だと思っていたのですか。」
法師は聞かない振りで、「もう一人はーーー私はその名を忘れたよ。後で手帳を見れば分かるが。何とか言う若い女で、友太郎と婚礼するばかりになって居たそうだが。」
毛;「それはスペイン村のお露です。」
法師;「そうそう、お露、お露、それからもう一人はたしか露の従兄妹の次郎と言った。それに確かお前と、これ以外に友太郎の友達と言うのは無かったそうだ。」
毛太郎次は額に脂汗を浮かべ、アア、友太郎は段倉や次郎のような者を友達と思っていたのですか。」
法;「思っていたから私に頼んだ訳です。」
毛;「ではやっぱり段倉や次郎にも分けるのですね。」
法;「それは勿論のことです。」
毛;「でも、もし、友太郎が友達と思っていても、その実友達ではなくて友太郎へ仇をしたようなことでも有ればどうします。たとえば、真に友達の心を持っていた者は、その中に唯一人しか居ないと分かったら。」
法;「その時には、その一人へこのダイヤモンドを与えるほかはない。」
毛;「本当ですか。」
法;「何で私が法師の身で嘘など言うものか。」
ますます毛太郎次の額の汗は多くなった。彼は悩み苦しみに耐えられないようである。やがて指を折りながら、「確かお露と、次郎と、段倉とこの毛太郎次と、オヤそれでは4人ですが、法師さん、もう一人は誰ですか。」
法;「今一人は亡くなられた。私は昨日マルセイユでそのことを聞き知ったが、友太郎の父、友蔵と言うものだ。もう十四年も前に死んだそうだ。」
毛太郎次;「その死んだ時の様子だって次郎や段倉は知りません。」
法師;「お前は知っているのか。」
毛;「知っているのは私一人でしょう。病気で死んだのでは有りませんよ。」
今度は法師が驚いた。
「エ、エ、病気でなくて」
毛;「飢え死にしたのです。」
「何、飢え死にした。犬猫でさえ食う物はあるのに、人間の中に居て人間が飢え死ぬとは。」と法師は叫ぶように言い、涙を浮かべた。
毛太郎次;「そうです。私も気の毒に思い、時々は見舞いに行きましたけれど、部屋の戸を閉めて、誰も入れませんでした。けれど、私は戸の穴から覗いてよく知っています。」
法師;「では誰も介抱する人も無しに。」
毛;「ハイ、友太郎の父を解放すればその筋から何のような疑いを受けるかも知れなかったのです。けれど、死に際には介抱した人が二人居ます。それは、友太郎の雇い主であった森江氏とお露です。森江氏は死んだ後の葬式まで営んでやりました。」
法師は聞き終わってしばらくの間首(こうべ)を垂れていた。全く気の毒な思いに何事も心に浮ばないようであった。けれど、毛太郎次のほうは死んだ人よりもダイヤモンドの方が気にかかっている。
「法師さん、こう申しては失礼ですが、この父が死んだからにはこの世に友太郎の友達と言うのは私より外には居ません。」
法師はようやく平静に戻って顔を上げた。
「では、段倉や次郎はもう死んだのですか。」
毛;「死にはしませんけれど、友太郎の友達ではないのです。」 法;「何で」。
「何で」と問われて、彼は身をもだえる以外に何もできなかった。「それを言わなければ、そのダイヤモンドを売った金を、彼らにも分けるのですね。言いましょう」。
ようやく決心したらしく見える折りしも、二階の方から、
「お前さん、素性も分からない人に考えのない事をお言いででないよ。」と制する声が聞こえた。引き続いて階段を下りて来るのは、永く婦人病にでも悩んでいるらしく見える、顔色も青ざめた三十四,五の女である。多分毛太郎次の妻であろう。元はかなりの美人であったと、まだ見受けられるところもある。
毛;「ナニ、考えのない事を言うのではない。まあお前も来て法師さんにダイヤモンドを見せて貰え、どうか、法師さん今のを妻にも拝ませてやってください。」
法師は肯いて再びあのダイヤモンドを取り出し、身を引きずって降りてきた妻の目先に光らせたが、これは女だけに夫よりもなお一層、宝石の事には詳しい。
「オヤ、本物だよ。」と言って、ほとんど目玉が飛び出すかと思われるほど、物欲しそうに眺め、法師が再び元に納めるや否や、亭主に向かい、「お前さん言うならば言ってもよいが、先ず法師さんの名前を聞いてからにおしよ。」と、流石に女の用心深くよほど法師を疑っていたのが、宝石の光のため和らいだのである。
法師は軽く笑って、
「オオ、私はイタリアの暮内法師です。」
暮内法師という名を聞いたことがあるか無いかはしらないけれど、毛太郎次は妻に向かい、
「それ見なよ、名高い法師さんじゃないか。」
妻;「でも相手はお前、、二人ともお前の様な意気地なしとは違い、今、飛ぶ鳥を落とす勢いになっているから、お前の口から古い悪事が漏れたと知ると、どの様なあだ討ちをするか知れないよ。」
この語で見れば次郎、段倉、二人とも今はよほどの勢力がある身となっていると見える。
毛;「だって、俺が黙っていたって、褒美にこのようなダイヤモンドをくれると言うではなし。構うものか。俺は言うよ。」
妻;「言うならお前の勝手にお言い、後で睨まれるようなことになっても、私は知らないから。」と上手く責任を夫に押しかぶせ、そうして強いて止めもせず、万一の禍には自分は逃れ、ダイヤモンドには自分もありつくように、巧みに縄張りをして元の二階に上がって行った。
第六十二回終わり
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