巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou20

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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      第二十回 馬で追おうとする茂林

 下僕(しもべ)與助が蛮族の駱駝に縛り附けられ、砂漠の方へ運び去られたとの顛末を通辯亜利から聞き取るや、茂林画学士は烈火の如くに怒り、
 「何だと、與助が引き浚(さら)われた。お前が傍に附いて居ながら、それを妨げる事が出来なかったのか。」

 「実に妨げる暇が有りませんでした。彼等の仕事が余り早くて、何の事だか少しも分からず、初めて分かった時は、早や彼等が廓(かこい)の門を潜った時です。」
 茂林は歯を噛んで、
 「エエ情け無い事をした。全体彼等は何所に住んで居る蛮族だ。」
 「それは分かりません。時々山や野原の中を、其方此方(そっちこっち)と引越して居るのですから。」

 「ヂヤあ今まで俺が写し取って居た馬に乗った、あの一人は何者だ。ソレ、俺の傍に礼拝を仕ていた奴サ。何故彼丈は一緒に去らず、ここへ残って居たのだ。」
 「アノ一人は組合が違うのです。こここ迄一緒には来たけれど、唯だ道連れだと云う事です。」

 「では彼奴(きゃつ)だけは同類では無いと云うのか。」
 「ハイ全く同類では有りません。與助の引き攫(さら)われたのを見て、彼奴も私と同様に驚きました。」
 「では彼奴に詰問して見ろ。蛮族等が何方へ與助攫(さら)って行ったか、凡その見当は分かるだろう。」

 亜利は四辺(あたり)を見回すと、彼の一人丈けはまだ己が乗って来た馬の傍に、呆れた様に立って居るので、亜利は早速招き寄せて問詰めると、この者は容易に答えようとしなかったが、ただごとでは無い茂林の血相に恐れてか、渋々ながら彼等が、何れの方に行ったのか知ることは出来ないと答えた。

 亜利は更に茂林の意を受けて彼に向かい、
 「だってお前は彼等の道連れと為って、互いに話を仕ながら一緒にここまで来たでは無いか。彼等が何処を指して帰る所で有ったか、それ位の事は聞いた筈だ。」
 彼「イエ聞きません。」
 亜「彼等はこの所から東北の方に当たる、メジナ府の方へ行ったのではないか。」
 「多分そうでは有りますまい。メジナ近傍に居る者とは風が違っていました。」

 「彼等はこの地方の境を越えて、更に先まで行くだろうか。」
 「それは勿論だろうと思います。」
 「今から彼等を追い掛けて、追付く事が出来るだろうか。」
 「出来ません。彼等の駱駝は非常に達者です。」
 「でも随分重荷を背負って居るから、そう早くは駆けられない筈だが。」

 「それにしても矢張り駱駝で追い掛けなければ無駄です。しかしながら、この辺に其の様な駱駝は有りません。」
 茂林は一々この様な答えを亜利から聞き取り、悶(も)どかしさに耐えられず、
 「此奴(きゃつ)の乗って居たアノ馬に、俺が乗って追い掛ける。此奴にそう云え。」

 亜利は驚く様子でなかなかこの言葉を通弁しなかった。
 「何をその様にマゴマゴするのだ。此奴の乗って来た馬がアレ、彼所(あすこ)に、鞍のまま繋(つな)いで有るぢゃ無いか。」
 「それは分かって居ますが駄目ですよ。亜拉比(アラビア)人は子より馬を大事に仕ます。亜拉比人に向かって馬を貸せと云うのは、欧羅巴(ヨーロッパ)人に向かって、女房を貸せと云うのも同じことです。」

 「では買い取るから値段を聞け。」
 亜利は無益とは知りつつも、仕方が無く、その掛け合いを始めたが、到底金銭では売らないと云う。」
 茂林はそうと聞き、グッと心を落ち着けて、宛(あたか)も大将軍が軍(いくさ)に臨んだように威厳を示し、

 「コレ亜利、俺の言葉を一句も落とさず、そのままに通辯しろ。」
と言い付けて置き、屹(きっ)と此の者の顔を眺めて、
 「今お前が見た通り、お前の道連れが、俺の従者を攫(さら)って去った。俺が之を救わずに捨てて置く事は勿論出来ない。救うには是非馬が要るのに、お前がその馬を売らないと云う柄は、今は止むを得ない。お前の承知不承知に拘(かかわ)らず、俺がアノ馬に乗って行くからそう思え。

 若し俺が無事に帰ったら、必ず相当の報酬を附けて馬を返す。若し今俺れのする事を少しでも妨げれば容赦は無い。この場で射殺して仕舞うぞ。コレこの短銃には、悉く弾丸を込めて有るから。」
と云い、腰から短銃を取り出して差し附ける様は、真に否やと云えば、射殺(いころ)してしまう決心が見えたので、彼れは争いも悶掻(もが)きもしようとはせず、唯だ顔色を青くして震えるだけだった。

 「サア亜利、アノ馬を連れて来い。」
と猶(なお)も亜拉比(アラビア)人に短銃を差し附けたまま命じると、亜利も畏(かしこま)り、直ちに馬を引いて来たので、茂林は飛び乗る間も此の者の顔から目を離さず、この者もこの様な常として、弱い者には理も非も無く邪険な代わりに、又強い者には、如何なる無理を云われても抵抗することが出来ない習性なので、最早や屈従する外無しと断念めた様子だった。

 茂林は馬の上から命をを伝え、
 「亜利、俺の姿が見えなくなる迄、この者を捕らえて居ろ。若しこの者が俺の背(うしろ)から鉄砲でも向け相なら、そのまま組み伏せて仕舞え。お前の方がこの者より強よ相だ。そうして俺が見え無くなったら、直ちに船に帰り、平洲や、寺森に今の始末を話し、俺が與助を救う為め、砂漠の闇に乗り入ったと知らせて呉れ。

 一同が俺の身の上を心配だと思うならば、然るべく援兵の用意をして呉れるだろう。」
と云い、早やその馬に鞭を当てる様子である。
 亜利は驚き、
 「旦那、貴方は殺されるに決まって居ます。夜に入って、彼等の様な追剥を追い、砂漠の中へ入込むのは冥途へ飛び込むのも同じ事です。」

 「その様な道理は聞いて居られない。與助と云えども同胞だ。同胞一人何して見殺しに出来るものか。」
と云い、茂林は早や暮れ果てた夜の世界を事ともせず、彼等の潜(く)ぐった門を潜り、漠々たる砂漠の中へ驀地(まっしぐら)に馬を馳せて躍り入り、早や其の姿も見えなくなったことは、大胆と云うよりも寧ろ、乱暴と云うべだ。



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