simanomusume13
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(十三) 矢張り貴方であった
今迄網守子は淋しいと云うことを知らなかった。今は其れを知った。
今迄、自分が無教育であると云うことに、気付かなかった。今は其れにも気付いた。
言わば目が醒めたのである。路田梨英の為に、目を醒まされたのである。
「私は人より劣って居る。」
と云う様な言葉が度々網守子の口から洩れた。けれど人に劣って、満足で出来る気質では無い。其れだけ此の後は、きっと様々の苦しみを感じるであろう。何うにかして、少しでも気安めの工夫を、残して遣り度いと、梨英は思った。
頓(やが)て家に帰り、此の家に昔からある、書籍の種類を検めた。勿論旧家だけに、多少の書籍はある。けれど、どれも古い。今の網守子の読み物にはなら無い。其の中に歌集が二、三種ある。
「当分是をお読みなさい。」
と言って渡すと、
「之を読めば私も大発展が出来るの?」
と網守子は聞いた。
梨英「イエ是だけでは足りません。私が都へ帰れば、適当な書籍を送ります。」
網「私は何の様な女に成れば好いの?」
梨英「其れは答え難い問題です。」
網「でも貴方は、何の様な女が一番好きなの?其れを私に云って下さい。私は其の通りに勉めますわ。」
実を言うと、梨英自らが、良く女の道を知ら無い。単に画家と言う自分の位置から考えながら、
「そうですね、第一、女は美しい着物を、美しく着なければいけません。着物が不味くては、何の様な美人でも見るに耐えません。」
網「其れから?」
梨「次は音楽。」
網「私は音楽は出来ますわ。」
梨「イヤ、正直に言いますが、貴女の音楽は正式に学んで居ないから、都の婦人の前では、姿勢からして笑われます。」
此の言葉を聞き、かって顔を紅らめた事の無い網守子が、パット耳までも紅くした。梨英はそうとも気付かず、
「次は紳士に対し、美術の話がが出来なければ、女らしい女では有りません。小説、芝居、絵画、彫刻、一通りは其の来歴と今の流行とを心得、善いとか悪いとか、自分の意見を述べることが出来なければ。次には作法礼式、その次にはーーー。」
黙って聞いて居た網守子は、ここまで聞いて忽ち顔に両手を当て、ワッと泣き出した。
「私は其の中の一つも知ら無い。私には女らしい所が一つも無いわ。」
と涙の中から咽ぶ声が漏れ聞こえた。
梨英は、言い過ぎたと気が付き、様々に慰めたが、直ぐに網守子も気を取り直した様に、
「残念でツイ泣いたのよ、私赤ん坊の様だわねえ。」
と少し極まり悪そうに笑った。
間もなく夜に入り、毎(いつも)の通り、一同が老夫人の部屋に集まり、やがて網守子が、例の胡弓を弾き始めると、老夫人はフト首を挙げ、暫(しば)らく梨英の顔を見入って、
「アア、貴方であった、矢張(やっぱ)り貴方であった。」
と言い出した。
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