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雪姫     

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.9.1

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         (第一回‎) 難題

 「雪姫」とは、曾(かつ)てオーストリアに派遣せられた外交官、河畑良年(かわばた りょうねん)の一女清子(きよこ)の綽名(あだな)である。本名の清子の名では知らない人も多いが、「雪姫」と言えば英国第一の美人として、噂に聞いた事の無い人は居ない。

 何の為の綽名であろうか。白い顔に少しも血の気が無く、深い秘密を隠している様に見える為か、心が冷ややかで、情の無い人かと疑われる為か、将(はた)又他に深い訳(わけ)が有る為か、読み終わる迄には、自ずから知る所となる事だろう。

 英国某州に、河畑郷の河畑家と言って、由緒正しい旧家が有る。此の家の一間に、今や一通の手紙を開き、幾度か読み直して思案して居るのは主人良年である。

 「アア俺も今年は四十七、娘清子は十六になった。四、五年の内には、然るべき所天(おっと)を持つ事に成ろうが、先年妻に死に分かれて以来、物入りや失敗続きで、婚礼の支度も、此の向きでは思う様にしてはやれない。何とかして家道を再興し、せめては現在の財産だけでも、減らさない様にしなければならないと、先頃から奔走した甲斐が有って、此の通りの通知を得た。

 特使としてオーストリアへ派遣せられるのは有難い。特使だけに莫大な手当ても有り、滞留二年の間には、交際費や褒賞金で、まず後々の困難は免れると言う算段は立つが、併し娘を承知させるのが一苦労だ。近々オーストリアへ行くかも知れない事だけは、承知させて有るけれど、肝腎の事は未だだ・・・・。」

と言い掛け、外交官にも始末に負えない一難題が横たわっているかの様に、頭を悩まし、
 「イヤ是も全く娘の為だから仕方がない。何しろ母が亡くなって以来、俺の手一つで、大事に大事に育てた丈け、もう自分で此の家の女王の積もりで居て、自分の気に入らないことは、俺の言葉さえ受け入れないから困るよ。

 尤(もっと)も、昔から人を指図しても、人の指図は受けないと言うのが、此の家の代々の気風で、女ながらもアノ通り、毅然とした気質を持って居るのは感心だ。アノ気質でなければ、到底人の上に立って、尊敬されて行く事は出来ない。

 けれどもだ。フムけれどもだ。少しは気を練って、素直に人に従うと言う躾(しつけ)も付けてやらなければ、第一所天(おっと)を持った時に自分が辛い。学問の教育は一通り終わったから、是からは躾と言う実地教育、是が何より大切だ。何しても、俺が不在の二年の間に、十分仕込んで遣らなければならない。アノ通り今まで一人で巾を利かせているから、俺の言葉を聞き、怒るだろうが、仕方がない。」

 漸(ようや)くに思い定め、鈴を押し鳴らして、入って来た召使に、
 「娘を之へ呼べ。」
と命ずると、やや有って入って来たのは、十六歳よりも十七歳に近く見える、娘清子である。身成りや髪形は行き届いた方では無いが、顔の美しさは驚かされる許かりである。今二、三年も経てば、どれほどの美人に成ることか分からない。

 父は穏やかに、
 「実は先日も話して置いた、オーストリア行きの件だが、此の家が昔から、立派な外交官を出したのと、此の父が先年から外交官を勤めた経歴で、愈々拝命することになった。就(つ)いては留守中の家の取り締まりや、その他色々、和女(そなた)に話す事が有る。
 が先ず腰をお掛け、その様に立って居ては、終わりまで話が出来ない。」

 留守中の家の取り締まりは、聞かなくても知って居ますと言う様な面持ちで、
 「イイエ、腰を卸(おろ)して好い時には、自分で卸します。」
と言うのは、いかにも此の家の女王かと思われる振る舞いである。

 父「事に依ると、意外に早く出発しなければ成らないかも知れないから、ここで残らず言って置くが、成るほど和女(そなた)に、留守の取り締まりは十分出来るにしても、十六の娘に留守を任せたと世間に聞こえては、余りに此の父が、注意や世話が不十分の様に思われるから、そこを好く考えて貰わなければならい。」

 優しく言われて腰を卸し、
 「世間の人が何と言おうと、雇人も大勢居ますから、私一人で沢山ですよ。」
と言うのは子供心に、独り一家を治めるのを、非常に名誉ある事と思い、我が身の貫目(かんめ)《重要さ》が加わる様に感じる為に違いない。

 父「イヤ此の父が家に居れば、この様に和女(そなた)一人で十分だが、父が留守となれば、第一雇人も言うことを聞かないだろう。」
 清「イイエ、その様な雇人は有りません。若し有れば取り替えます。何時も阿父(おとっ)さんの留守中は、皆が却(かえ)って好く私の言い付けを守りますよ。」

 父「イヤいつもの留守と、今度の留守とは違う。」
 清「では何う為さろうと仰(おっしゃ)るのです。」
 父「然るべき年頃の婦人を、和女の後見人の様にして、此の家へ置こうと思う。」
 清子は後見人との言葉を非常に賤しむ様に、

 「その様な者は要りません。無い方が余っぽど好(よ)う御座います。」
 いつもより一層、我が意を張ろうとするので、父良年は聊(いささ)か気を損じた様子で、
 「イヤその様に一々異存を唱えては、話も出来ない。」
と荒く言うと、流石に悪かったと気が付き、直ちに折れて非常に愛らしく父の首に縋(すが)り付き、

 「御免なさい。だって阿父(おとっ)さんが、後見人などと言うのですもの。余り名前が恐ろしいでは有りませんか。」
と言って髭髯深い頬の辺りに接吻するのは、全く罪も無い少女である。父も忽(たちま)ち打ち解けて、

 「成るほど後見人と言ったのは、父が悪かった。後見人では無い。阿母(おっか)さんだよ。」
 清「エ、エ、阿母(おっか)さん・・・・とは。」

 父「実はな、父ももう長年の独身に飽きたから、もう一度結婚して、和女の為に阿母さん同様の婦人を、迎え様と思って。丁度似つかわしい貴婦人が有って、此の頃縁談が出来たから。」

 半分聞いて、清子は色を失ったが、余りの意外に言葉も出ず、震える唇を噛み締めて、眼の底に涙を浮かべた。父は気にも留めない様子で、
 「本当の所は、父がその貴婦人を見染めたのさ。貴婦人も又父に惚れたのさ。そんな訳だから。」

と言葉はいまだ終わらないのに、清子は今までの我儘(まま)な調子とは全く違い、此の気質で、これほどまでも静かな言葉が、吐かれるかと怪しまれるほど、沈痛な声音となり、

 「阿父さん、それは継母(ままはは)では有りませんか。後見人よりもっと酷い・・・。」
と言い掛けて、ハラハラと涙を落としたのは、深く心に情け無く思う所が有ると見える。


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