巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime13

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.9.16

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください 。

文字サイズ:

a:64 t:1 y:0

         第十三回‎ 「福の神其の者」

 是より一月の後、良年は友子と結婚し、娘清子をも連れて,
新婚の旅に上ったが、好い時には好い事が続くもので、留守中に端無くも、良年自身が大金持ちに為り、且つは子爵の位を得て、貴族の仲間に入れられると云う、非常に意外な事が生じた。

 そのわけは、同じ英国に在る「乗間の郷」と言う所に、同じ河畑の姓を名乗る、子爵の家筋があり、良年の先祖が出た家であると云う事で、父の代まで交通していたが、良年の世代となって、疎遠に流れて居たが、此のほどその当主が死んで、後を嗣ぐ可き子が無い為め、爵位も財産も悉(ことごと)く、良年の手に飛び込んだためである。

 良年は旅行先で、此の知らせに接し、急いで帰郷したが、そうでなくても、オーストリアに使いして、首尾好く使命を果たした為め、名誉も揚がり、暮らし向きも豊かに為った際とあって、子爵河畑良年の名は、到る所に呼び者となり、明ける年の社交の季節には、宮廷からも招かれ、一般の貴族社会からも、切に交わりを求められるに至った。

 良年よりも更に名高くなったのは、娘清子である。今迄喜び勇んで社交界に歩み入る美人は多いが、厭々ながら招きに応じ、誰に逢っても、少しも喜ぶ様子は無くして、成るべく人と語を交わすのを避け、少しも浮世の楽しみを、心に留めて居ない様な美人は、清子の外には有ったためしは無い。

 若し容貌の不十分な女子にして、こうも物事に余所余所しかったなら、誰一人振り向いて見る者は無かっただろうが、清子は誰であっても、振り向かずには、通り過ぎる事が出来ない程の容貌で、しかもこの様な有様なので、異様に奥ゆかしく思われて、

 その締まった口から洩れる、一言の挨拶は、他の令嬢の千万言よりも珍重され、老いも若きも唯だ、清子の一片の世辞を得、清子の一顧の笑みに与(あずか)ろうと、競うことにはなったが、清子の口には世辞の声は無く、清子の顔には笑みの影は無い。

 身持ちも面持ちも、全く俗界の美人とは違い、その異様に気高く、冷ややかににして、而も光り輝く様は、宛(あたか)も千秋解けること無き、高峰の雪にも譬(たと)える事が出来るので、誰言うとなく、「雪姫」と綽名(あだな)し、雪姫の臨場して居ないパーテーは、単に失敗の一語を以て評せられる程の様とは為った。

 雪姫の名が、如何に社会に轟いたかは、時の人々が、様々な品に、「雪姫」と言う銘を打った事によっても、知る事が出来る。帽子にも雪姫形と言うのが有れば、衣服の仕立てにも雪姫好みあり。某侯爵は盆栽の蘭に、「雪姫」の名を附し、某貴夫人は、愛し飼っているオウムを、雪姫と呼んでいる。

 店先に売る化粧品から、煙草(タバコ)や酒に至るまで、雪姫と名を附すれば、人は争って之を買う有様とは為ったが、独り当人の雪姫は、自分が持て囃されれば持て囃される丈け、益々心細さを感じ、若し今迄の様に、世間に名も顔も知らていない身ならば、たとえ盗人の隠し妻であると露見しても、まだ気楽な所もあろうが、これ程迄、多くの人に知られ、その上で身の恥が現れたとしたら、真に身の置き所も無いと思われ、少しの間も気が安まる所は無いに違いない。

 日に幾通と無く寄せ来る、招待状を、宛(あたか)も罪人が、逮捕状を読む様な心地で読み、断る事が出来る丈けは断って、唯だ父から是非にと、言葉を添えられる分へのみ出席する事とはしたが、此の頃、女子として、清子が持て囃され様に、男子として社交界に轟き渡っている、一紳士こそ現れた。

 その人は英国では、貴族と称せられる公爵、楠原家の当主吉光の君である。
 此の君は十九歳の時父を失い、年に何十萬磅(ポンド)の所得ある楠原家を相続したが、その頃から既に、娘を持つ世の親達は、何とかして、我が娘を、此の君に見染められさせようとして、様々に手を廻わしたが甲斐がなかった。

 此の君は間もなく、大陸の旅行に上り、二十四歳の本年まで、宮廷から宮廷へと巡歴(へめぐ)て居たもので、此の度初めて帰朝したので、既に外国で、孰れかの皇女又は姫君と、結婚の約を定めたのではないかと、世の親達は第一に、その事を探り試みたところ、幸ひにも、『約定済み』とはならずに帰て来た事が分かったので、

 孰れも福の神その者が、天降りした様に思って、此の君が臨席するパーティーには、特別に衣装を仕立てさせて、娘娘を出場させ、生涯に二度とは出ないほどの笑顔を、此の君に向かって降り掛けられるように訓練していたが、数年の間、外国で笑顔の雨に沐(ゆあみ)し、世辞の風に櫛けずって帰って来た君なれば、少しも感じ無い様に見え、親達を失望させること一方ならなかったが、

 或る所のパーティーで、此の君は部屋の片隅に、彼の高嶺の雪の様に、非常に冷ややかに輝いている清子を見、会主なる婦人に、彼の令嬢は誰であるかを聞き、引き合わせを頼み込み、その婦人の後に従い、女皇の前に出る様に、恭謙の態度を以て、清子の前に進み出た。

 此の君が態々(わざわざ)に自分から、引き合わせを求めるとは、今迄に例(ため)しの無い所なので、親々も娘々も福の神その物が、羽を生やして飛び去ろうとするのを見る様に、羨みの目を見開いた。



次(第十四回)へ

a:64 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花