巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime18

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.9.22

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          第十八回‎ 「天然の大人物」

 「眼と眼とを合わせたのも少しの間で、清子の馬車は直ちに公園の中に入った。春川大尉は恍惚として、その後ろ姿を見送ったが、
 「何うだ、春川君、公爵を振り捨てる美人には、何処か違った所があるだろう。」
と言って一人に肩を叩かれ、初めて気が付いた様に、

 「アア全く唯の美人とは違った所がある。美しさの中に何となく悲しみを帯びて、此の世の俗事を、眼中に置かない様子が見えるのは、アノ年頃には珍しいよ。」

 乙「アノ悲しそうな顔を、他日嬉しそうな顔に変えさせるのは、誰だろう。」
 丙「少なくとも君では無い事は、僕が断言する。」
 丁「と言って君でも有るまいよ。」
 甲「その通り、その通り。」
と言って、一場の笑いに帰して止んだものの、春川のみは笑う様子も見せなかった。

 それから程なくして、清子の父河畑良年は、社交界に名誉高い人々を招き集めて、己(おのれ)の邸で盛餐会を催したが、まだ客が来ない前、妻友子に向かい、
 「今日の来客の中で、黙死将軍春川鴻が一番立派な男だろうと思う。」
と言うと、友子は、

 「楠原公爵よりも立派ですか。」
と問い返す。
 良「イヤ公爵とは、立派さの種類が違うよ。私は何故に清子が、アノ公爵を断ったのか、合点が行かないと思って居たが、今考えて見ると、清子はあの様な気質だから、公爵よりも働きのある、天然の大人物を好むかも知れない。そうとすれば、今の世に春川ほどの大人物はない。」

 友「でも此の様な事は、傍(そば)からは、何と思っても無益ですから。当人の気儘に任せて置く外は有りません。そのうちには自然と気に叶う所天(おっと)も出来ましょうよ。」

 良「それはそうだ。併し今日は、成るべく美しく見える様に、衣類そのほか、総て和女(そなた)が指図して遣るが好い。そう着飾ざらなくても、美しくは見えるけれど、何故か年頃の娘に似ず、少しも衣類などに、気を止めないから。」

 友「ハイ私が充分気を附けて遣りましょう。こう言う中にも、もう定めの刻限に、間も有りませんから。」
と言い、友子は立って、清子の部屋を指して去った。

 やや有って、装いが成って出て来る清子を見ると、友子の世話は、落ちも無く行き届きいたと見え、日頃の綺倆に輪を掛けて美しく、父ながらも見惚れる程の想いがあった。そのうちに客は追々に到着し始め、早や部屋の半ばは塞がった頃、

 「春川大尉」
と取り次ぐ声があった。清子は自分の為に、金言とも成って居る、彼(あ)の勇ましい言葉を吐いたその人と知り、如何なる風采の人かと思って、その来る方を見ると、背は高くて、体が直立する様子は、自ずから軍人の姿勢をしていて、何となく尊く見え、顔はそれ程端正と言うほどでは無いが、古人が言う所の「獅子の様な勇ましさの中に、小児の様な優しさを含んでいる者」である。

 一見して、此の人の後ろ盾があれば、世に恐ろしいと言う事は無いに違いないと思われるところが有る。清子は心の底に、此の人が
早く、自分の前に来て欲しいと、待ち兼ねる気もするが、早や来客の幾人かが、

 「オオ春川大尉か。」
と言って、その周囲に集まり、なかなかこちらへ送ってよこす様子も見えないので、少し残念に思って控えていると、その中に父良年が、その許(もと)に行き、今日来臨せられた礼を述べて、静かに清子の前に導いて来た。

 清子は唯だ、春風が吹き渡るのに逢う心地がし、立って一通りの挨拶をしながら、更にその人の顔を見ると、如何(どう)やら見覚えも有るような気がする。
 「オオ春川さん、何所かでお見受け申した事も有る様に思いますけれど、何うも思い出す事ができませんが。」

と言い掛けると、春川は機嫌良く、
 「ハイ、私の方では好くお覚えて居ます。ナニ、お目に掛かったとは申されませんが、先日公園の入り口で、五、六人の友と談話して居る際、貴女の馬車が通りまして、友人から指し示されました。」

 なるほど、彼(あ)の時見交わした、その顔である。その時は丁度、此の人の言葉を念じて居た事をまで思い出して、何とやら面はゆく、我知らず顔を赤めると、春川は此の様を見て、今まで何人に対しても、笑みもせず、羞(恥)らいもせず、単に余所余所しとのみ聞く此の嬢が、何故にこの様に恥じらうのだろうと、少し異様に思ったけれど、勿論悪い気はしなかった。

 唯だ離れ難い想いがして、是から盛餐の時刻まで、少しの間であるが、清子の傍に坐し、やがてその時刻になったので、護衛の様に清子に従って食堂に入り、又並んでテーブルに就いた。

 この様な間に、一刻は一刻よりも深く清子の美しさに感じ、振る舞いの気高さに感じ、話す言葉の趣味豊なことを感じ、うっとりとして、酔う様な感じを覚えた。



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