巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime23

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.10.04

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         第二十三回‎ 「暗き暗き黒雲」

 清子は死よりも辛い程の思いで、愈々(いよいよ)春川を断るには決したが、扨(さ)て如何にして断るべきだろう。理由無しに断るのは、きっと立腹をするだろう。何の為め断るかと、問い詰めもするだろう。腑に落ちる丈の事情を聞かなければ、中々に承知しないに違いない。

 だからと言って、事情を聞かせられる事では無い。私は既に盗人の隠し妻であるが為とは、如何(どう)して此の口から話す事が出来ようか。何かもっともな言方は無いだろうかと、心を絞って考えたが、他に言方がある筈も無い。

 たとえ有ったとしても、真の事情を押し隠して、本当の事で無い事を、本当の事の様に話す事は、偽ることだ。欺くことだ。彼の非常に深い愛を、斥ける事さえ、罪深い事なのに、偽りを以て斥けるとあっては、罪に罪を重ねる事になる。

 だとすれば、秘密を打ち明けようか。否、之は打ち明けるべきではない。だとしたら如何(どう)すれば好い。如何(どう)したら好いかと、殆んど彼を断る辛さと同じくらいに、その断り方の辛さに苦しみ、又も勇気が挫(くじ)けようとする程であったが、

 漸(ようや)くにして、打ち明けると打ち明けないとの中をとり、私に恐ろしい秘密があるとの事だけは打ち明けて、その秘密が何なのかとの内容は、打ち明けないと云う事に決した。

 春川は非常に思い遣りの深い男なので、私の身に秘密があるとの事を聞けば、更にそれ以上の、秘密が何なのかとの事までは、堀り問うて、私に余計な苦しみを掛けはしない。

 そうだ、私にその秘密をまで吐かせるのは、余りに意地悪であると思い、唯私を信じて、断りの言葉に従うに違いないと、覚束なくも思い定め、死刑の場に歩み入る様な思で、約束の場所に行った。

 扨(さ)て春川は、「一時間程経て」という約束の刻限を待ちながら、庭の面を漫歩する間にも、今の手紙の文言を考えて見るに、昨夜の所で返事をしようとの意味だけなので、別に長々しくは親しむ筈も無いが、何となく総体の文句が、余りに短か過ぎる様にも思われ、又「返事」と言う一語の墨色が、取り分けて艶けなく、少しの情をも含んで居ない様に思われ、千軍万馬の間には、命を的として驚かざる勇士も、恋には少しの事にまで、胸騒ぎのするのを禁じ得ず。

 だからと言って、清子が我を断るべき道理は、何処をどう考えても無い筈なので、幾度も思い直しては、我が勇気を引き立てるうち、漸く約束の時刻に達したので、昨夜潜(くぐ)った小径を潜(くぐ)り、彼の芝生の所に出ると、既に昨夜の腰掛に、身を安んじて、我を待っている清子の姿を見ると、今までの心配も、忽ち消え、色好い返事の為でなければ、我より先に、来たりはしないと、柄の附かない所にまで、柄を附けて笑み崩れ、胸も嬉しさに躍らせて、その傍に行き、

 「早く嬉しいお返事を聞きたいと、私は待ち兼ねて此処へ来ました。昨夜私の申した言葉を、篤(とく)とお考え下さったでしょうが、私の心はアノ通りですから、どうか妻になるとの御返事を、ナニ婚礼などは直ぐにと急ぐ訳でも有りませんから。」

と、軽く訴えつつ、清子の前に腰を卸(おろ)し、その顔をしっかり身遣ると、昨夜一睡もせずして、煩悶に明かした有様は、青ざめた顔の様子にも明らかにして、嬉しい返事を発せんとする人の様とは思われない。

 扨(さ)ては、若しやと、胸の中に早や、暗い暗い黒雲が、俄(にわ)かに湧き起こる様な心地がした。



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