巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime4

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.9.4

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        第四回‎ 「雑報の末の一項」

 友子が気遣(きづか)って、誡(いまし)めれば誡めるだけ、清子は益々野下三郎に親しみ、人の見ない所で彼と差し向かいに打ち語らうのを、友子への復讐として何より面白く思うに至った。

 アア世間を知らない一少女が、才知捷(はし)こい若紳士と、人が居ない所で繁々と落ち合うほど、危険な事は無い。野下の巧みな口舌は、日一日に深く清子を言いくるめて、遂に秘密に結婚する事をさえ承知させた。

 どの様に言いくるめたのかと言えば、素より清子の胸に、露程も野下(のげ)を慕う心が有るのでは無いので、愛情の語を以て言いくるめる事は出来ない。唯だ清子が非常に友子を憎み、何とかして父と友子との結婚を遮(さえぎ)り止めようと思うのに付け入って、非常に言葉を巧みにし、

 「今その婚礼を遮るには、貴女が秘密に私と結婚する外は有りません。アノ友子さんは、貴女の父上に頼まれ、後見人も同様だと言うでは有りませんか。後見人が貴女の結婚をさえ知らずに居たと言えば、それこそ非常な手落ちですから、その様な不行き届きな女は、決して妻にする事は出来ないと、直ぐに父上が友子さんに愛想をつかすのは確実です。」

と言い、清子が秘密の結婚と聞いて、穏やかではない事の様に思い、非常に躊躇するのを見て、

 「ナニ、秘密の結婚と言った所で、唯だ一時、友子さんに秘密にする丈の事で、婚礼が済み次第直ぐに、私が貴女を連れて船に乗り、オーストリアへ行って、父上にお目に掛かり、婚礼の次第を申し上げるから、決して世間に有りふれた、質(たち)の悪い秘密の婚礼では有りません。

 父上も一時は驚きましょうが、驚くに付けても益々友子さんの不行き届きを知り、此の女は何の役にも立たない人だと言って、見限って仕舞うのは確実です。その上に、若し父上が貴女と私のとの結婚を立腹する様な事が有れば、それはゆっくり、どの様にも私が宥(なだ)めますよ。

 第一父上は決して、貴女と私との結婚を、怒りは為されません。日頃から父上は深く貴女を愛し、貴女のすることを、決してお咎めなさらないでしょう。」

 清「ハイ咎めなどする事は有りません。此の度の友子との婚礼の外は、何一つ私の願いを、拒んだ事も無い程ですもの。」

 「ソレ御覧なさい。日頃貴女の言葉を拒んだ事もない父上が、友子との婚礼ばかりは、何故に貴女の願いを拒むのです。既に貴女よりも友子を大事だと思い始めた為ですよ。この上に放って置けば、父上の心は益々友子の方へ傾き、友子は又益々増長して、自分が婚礼の後は、どの様に貴女を窘(いじ)めるかもしれません。

 殆んど一家を攪乱(かきみだ)すだろうと思われますよ。之を遮(さえぎ)り止めるのは今の中です。今の中にどの様な事をしても止めなければ、後になって取り返しが付きません。よしや一時は父上が怒るにしても、此れを止めずに置くのは、後々父上の身を迄誤らせる元になります。

 それですから、今私と秘密の結婚をするのは、父上への孝行の道にも叶(かな)って居ます。」
と如何にも秘密の結婚の外に、父の婚礼を遮るべき手段が、無いかの様に言い聞かされ、清子は野下の知恵に感心しつつ、ふとその気になって、

 「では貴方の言葉に従いましょう。」
と言い切った。それで野下が非常に喜び、

 「では婚礼の日取りは何時にいたしましょう。」
と聞かれ、流石に又恐ろしい心地もし、
 「ですが婚礼などと、まだ私はその様な事を知りませんよ。今が今まで、人と婚礼する事などは、考えた事も有りませんから。七日か十日、悠(ゆっく)り考えさせて下さい。」

 考えさせては、その間に心の翻る恐れも有れど、爾(さ)ればとて、余り急いで疑われるのも却(かえ)って事を破る元なので、仕方なく、

 「それなら二日か三日お考えなさい。考える間に若し人に悟られたら、何も彼も水の泡になりますよ。」
 清「大丈夫です。誰にも悟られますものか。」
 野「取り分け、友子さんに悟られては大変ですよ。」
 清「イイエ、決して悟られは致たしません。」

 このようにして、二人は分かれ、野下は打ち喜びつつ、己の部屋へ帰って見ると、テーブルの上に、今日着いたロンドンの新聞紙があった。なにしろ嬉しさに我を忘れる程の際なので、物事も手に附かなかったが、外にする事も無かったので、それを取り上げて開き読むうち、雑報の末に記してあった、僅か数行の一項に行き当たり、彼は忽ち顔色を変じ、驚きの叫び声を洩らし、又忽ち気付いた様に、不安そうに四辺(あたり)を見回し、

 「オオ誰も傍に居なくて幸いだが、実に困った事に成ったワイ。もう此の宿には一日も落ち着いて居る事が出来ない。全体今まで逗留したのが不覚だ。俺はこれ程も深く、清子に迷ったのか。あの美しい顔を見てから、殆んど何も彼(か)も忘れて居た。

 困ったなア。「此の頃漸(ようや)く足取りが分かった。」などと、是も全く此方の油断が過ぎた為だ。併し待てよ、そう容易に足の附く筈は無いが、或いは世間の評判が高くて、新聞社が満更知らない風でも居られない為、読者へ申し訳までに、このような事を書いたのか。何にしても、ここには居られない。

 今夜の中に立ち去らなければ。イヤイヤ清子を捨ててーーー何うして清子を捨てられる者か。ここまでやっと漕ぎつけたのに。そうだ、何とか清子を説き伏せて、直ぐに明朝隣村の寺院で婚礼して、そうして明日中に引き連れて、ここを立たなければ。そうだ、そうさえすれば、何の事は無い。後で誰が捜しても、ナニ行方が分かるものか。」

 このように言って、急いで宿の主人を呼び、今日誰かロンドンから来た人は居ないかと聞き、無しと言われて、初めて安心の色を見せたが、早や出発の用意をして、荷造りなどを初める様は、宛(あたか)も、追っ手を恐れて、逃げ去ろうとする人にも似ている。この様な人の言葉に惑わされ、秘密の婚礼をまで為さんとする清子の身について、心配には及ばないと言う事が出来るだろうか。



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